イタリア・ルネサンス年表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/26 13:56 UTC 版)
1600年以降
1600年代(セイチェント Seicento):トリエント公会議以後、ローマはカトリックの首都として装いも新たに作り変えられ、イエズス会を中心に強化された対抗改革の美学が新しい時代の規範とされていく。前世紀までの晦渋で複雑な貴族趣味的なマニエリスム芸術は忌避されるようになり、一般信徒に向けたカトリック信仰の教化のため、写実主義と古典主義が復活する。写実主義を代表するのがカラヴァッジオであり、古典主義を代表するのがカラッチ一族である。これらの傾向とともに、演劇的な表現が加味されたバロックと呼ばれる新しい様式が生み出された。
- 1600年 - ジョルダーノ・ブルーノ火刑。
- 1600年 - カラヴァッジオ「聖マタイの召命」。
- 1600年 - ステファノ・マデルノ「聖チェチリア像」。
- 1600年 - ルーベンスがマントヴァ公の宮廷画家となる。
- 1600年 - ドイツ人画家アダム・エルスハイマーがローマに定住する( - 1610年)。
- 1600年 - エミリオ・カヴァリエリ「魂と肉体の劇」(最古のオラトリオ)。
- 1600年 - マリア・デ・メディチ(マリー・ド・メディシス)とフランス国王アンリ4世の結婚。
- 1600年頃 - 【イングランド】アイザック・オリヴァー「女王エリザベス1世の虹の肖像画」。
- 1601年 - ジュリオ・カッチーニ『新しい音楽』で通奏低音を伴うモノディ形式を紹介。
- 1602年 - ヴェネツィアが航海条例を出す。
- 自国の貿易振興を目指すが、外国船を追い出すこととなり、ヴェネツィアの没落は決定的、リヴォルノが優位に立つ。
- 1602年 - カンパネッラ『太陽の都』執筆。
- 1602年 - フォルチューニオ・リチェティ『人間霊魂の起源について』。
- 1602年 - アントニ・コンティノによるヴェネツィアの溜息橋(ポンテ・デイ・ソスピリ)完成。
- 1602年 - アンニーバレ・カラッチとその一族、ファルネーゼ宮殿壁画完成。
- 1603年 - フェデリコ・チェージらによりアッカデーミア・デイ・リンチェイ(山猫学会)が設立される。
- 1603年 - 【イングランド】女王エリザベス1世死去、スコットランド王ジェームズ6世がイングランド王ジェームズ1世として即位。
- 1603年 - 【オランダ】ヤーコブス・アルミニウスがライデン大学教授に招かれる。
- 1604年 - 【オランダ】カレル・ヴァン・マンデル『画家列伝(画家の書)』。
- ヴァザーリの『画家・彫刻家・建築家列伝』を模範に北方ルネサンスの画家の画業をまとめる。
- 1605年 - 教皇クレメンス8世死去、メディチ家出身の教皇レオ11世即位。
- レオ11世は即位後20余日で死去、続いてボルゲーゼ家出身の教皇パウルス5世が即位。
- 1605年 - 【スペイン】セルバンテス『ドン・キホーテ』前編出版(後編は1615年に出版)。
- 1606年 - 教皇パウルス5世、ヴェネツィアに聖務禁止令を通達。
- 法律顧問となったフラ・パオロ・サルピがヴェネツィア擁護の論陣を張る(→1607年)。
- 1607年 - 聖務禁止令解除で事実上のヴェネツィアの勝利、しかし同年フラ・パオロ・サルピ暗殺未遂事件も発生。
- 1607年 - 枢機卿フェデリコ・ボッローメオによりミラノにアンブロジアーナ図書館が設立される。
- 1607年 - フェデリコ・ツッカリ『彫刻と絵画そして建築の理念』出版。
- 1607年 - モンテヴェルディのオペラ『オルフェオ』。
- 1608年 - カラヴァッジオによるマルタ島バレッタの聖ヨハネ大聖堂の「洗礼者聖ヨハネの斬首」。
- 1609年 - トスカーナ大公フェルディナンド1世死去、息子のコジモ2世が公位を継承。
- 1609年 - アダム・エルスハイマー「エジプトへの逃避」。
- 1609年 - 【スイス】ジュネーヴ司教フランシスコ・サレジオ『信心生活入門』。
- 1610年 - カラヴァッジオがポルト・エルコーレにて熱病で死去。
- 1610年 - ガリレオ・ガリレイが木星の4つの衛星(ガリレオ衛星)を発見し、「メディチ家の星々」と名付ける。
- この発見は『星界の報告』にまとめられて出版、ガリレオはピサ大学教授兼トスカーナ大公付哲学者に任命される。
- 1610年 - 【フランス】国王アンリ4世暗殺される、ルイ13世が即位。
- 王母マリー・ド・メディシスが摂政(→1600年)、イタリア人のアンクル元帥コンチーノ・コンチーニが補佐官となる。
- 1610年頃 - オラツィオ・ジェンティレスキ「ゴリアテの首を見つめるダヴィデ」(ローマ・スパーダ絵画館)。
- 1611年 - カルロ・ジェズアルド「聖務週間日課のためのレスポンソリウム集」(→1590年)。
- 1611年 - 【イングランド】国王ジェームズ1世の命による欽定訳聖書出版
- 1612年 - クルスカ学会により最初のイタリア語辞書『クルスカ辞典』が出版される(→1583年)。
- 1612年 - 女流画家アルテミジア・ジェンティレスキへの暴行事件の裁判が行われる。
- 1612年 - ロレーヌ公国(現フランス)出身の版画家ジャック・カロがフィレンツェに定住する( - 1621年)。
- 1612年 - パドヴァ大学教授サントーリオ・サントーリオが体温計を発明。
- 1612年 - サンタ・マリア・ノヴェッラ教会付属薬局(1221年創業)が公式認可され、トスカーナ大公御用達となる。
- 1612年 - フィレンツェでアントニオ・ネリの『ガラス製造法(ラルテ・ヴェトラリア)』が出版される。
- 1612年 - 【イングランド】シェイクスピア「テンペスト」初演。
- 1612年 - 【ドイツ】ヤコブ・ベーメ『アウローラ』。
- 1613年 - ラヴィニア・フォンターナ「服を着るミネルヴァ」。
- 1613年 - バルトロメオ・スケドーニ「キリストの墓の前のマリアたち」。
- 1613年 - アルテミジア・ジェンティレスキ「ホロフェルネスの首を斬るユーディット」。
- 1613年 - 【スペイン】ルイス・デ・ゴンゴラの長編詩『孤独』出版、その晦渋な作風を「ゴンゴラ主義(ゴンゴリスモ)」と呼ぶ
- スペイン文壇は晦渋なカルテラニスモ(ゴンゴラが中心)と明瞭なコンセプティスモ(ケベードが中心)の両者が対立する。
- 1614年 - ジャンバティスタ・マリーノ『リーラ』出版、「マリーノ主義」と呼ばれる誇張された過剰な表現形式を用いる。
- 1614年 - グイド・レーニによるパラヴィチーニ・ロスピリオージ宮殿壁画「アウローラ」完成。
- 1614年 - 【スコットランド】ジョン・ネイピアによる対数表の完成(対数の概念の発見は1594年)。
- 1615年 - 日本の慶長遣欧使節一行、教皇パウルス5世に謁見。
- 1616年 - 枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼの命によるローマのボルゲーゼ宮殿完成(1611年 - )。
- 1616年 - ガリレオ・ガリレイの第1回宗教裁判(→1633年)。
- 1616年 - 【スペイン】セルバンテス死去。
- 1616年 - 【イングランド】シェイクスピア死去。
- 1616年 - 【ドイツ(ストラスブール)】ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエ『化学の結婚』出版。
- 1617年 - 【イングランド】ロバート・フラッド『両宇宙誌』刊行始まる( - 1621年)。
- 1618年 - 【ボヘミア】第二次プラハ窓外投擲事件。三十年戦争始まる( - 1648年)。
- 1619年 - フラ・パオロ・サルピ『トリエント公会議の歴史』。
- 1619年 - ジャンバッティスタ・マリーノ『ガレリア』。
- 1619年 - ヴィンチェンツォ・スカモッツィ『普遍的建築の理念』。
- 1620年 - パルマ公ラヌッチョ1世の命によるファルネーゼ家の居城ピロッタ宮殿が完成。
- 1620年 - ドメニキーノ「ヴェローナの聖ピエトロの受難」完成(1618年 - )。
- 1620年 - 【イングランド】フランシス・ベーコン『ノヴム・オルガヌム』出版。
- 1621年 - 教皇パウルス5世死去、教皇グレゴリウス15世即位。
- 1621年 - 【イングランド】ロバート・バートン『憂鬱の解剖学』。
- 1622年 - 教皇グレゴリウス15世によりイグナチオ・デ・ロヨラ、ザビエル、アビラのテレサ、フィリッポ・ネリが列聖される。
- 1622年 - グエルチーノ「われアルカディアにもありき」完成(1618年 - )。
- 1623年 - 教皇グレゴリウス15世死去、バルベリーニ家出身の教皇ウルバヌス8世即位
- 1623年 - ジェノヴァにてソフォニスバ・アングイッソラがフランドルの画家アンソニー・ヴァン・ダイクの訪問を受ける。
- 1623年 - ガリレオ・ガリレイの『贋金鑑識官』、教皇ウルバヌス8世への献辞をつけて刊行される。
- 1623年 - 【フランス】マラン・メルセンヌ神父の『創世記の諸問題』が出版され、ロバート・フラッドとの論争を引き起こす。
- 1624年 - イングランド国教会からの転向者でローマの異端審問で有罪となったマルコ・ドミニスが獄死。
- 1624年頃 - ナポリで活躍した奇想の風景画家モンス・デジデリオの活躍が終わりを迎える。
- 1625年 - 【フランス】枢機卿リシュリューが主席国務大臣(事実上の宰相)となる(-1642年)。
- 1624年 - フランス人画家ニコラ・プッサンがローマに定住、以後人生の大半をローマで過ごす( - 1665年)。
- 1625年 - 【フランス】フーゴー・グロティウス『戦争と平和の法』をパリにて出版。
- 1625年 - 【フランス】ルーベンス「マリー・ド・メディシス(マリア・デ・メディチ)の生涯」完成。
- 1626年 - 教皇ウルバヌス8世によるローマ・サン・ピエトロ大聖堂献堂式。
- 1626年 - ウルビーノ公国で後継者が不在となり、ウルビーノは教皇領に編入される。
- 1626年 - 【スペイン】フランシスコ・デ・ケベードの悪漢小説『ペテン師ドン・パブロスの生涯』。
- 1626年 - 【ドイツ】ケプラー「ルドルフ表」。
- 1627年 - フランス人画家クロード・ロランがローマに定住、以後人生の大半をローマで過ごす( - 1682年)。
- 1628年 - マントヴァ継承戦争勃発。
- 1629年 - スペイン人画家ベラスケスのイタリア訪問(-1630年)、途中のナポリで画家ホセ・デ・リベーラと交流。
- 1630年頃 - ボッロメーオ家のカルロ3世によりマッジョーレ湖のイゾラ・ベッラの別荘が造営される。
- 1631年 - ケラスコの和約が結ばれ、マントヴァ継承戦争終結。
- 1631年 - サンマリノが教皇ウルバヌス8世により独立を承認される。
- 1631年 - 【イングランド】形而上詩人ジョン・ダン死去。
- 1631年 - 【モラヴィア】コメニウス『地上の迷宮と心の楽園』出版。
- 1632年 - カルロ・ドルチ「アイノルフォ・デ・バルディの肖像」。
- 1632年 - ローマのバルベリーニ宮殿でオペラ「聖アレッシオ」が上演される。
- 作曲はステファノ・ランディ、台本はジュリオ・ロスピリオージ(後の教皇クレメンス9世)。
- 1632年 - ガリレオ・ガリレイ 『天文対話』をフィレンツェで出版(→1633年)。
- 1632年 - 【オランダ】レンブラント「テュルプ博士の解剖学講義」。
- 1632年 - 【ポーランド】カルヴァリア・ゼブジドフスカのマニエリスム様式の礼拝所が整備される(1600年 - )。
- 1633年 - ガリレオ・ガリレイの第2回宗教裁判。
- 1633年 - ベルニーニによるローマ・サン・ピエトロ大聖堂の天蓋付き主祭壇(バルダッキーノ)完成(1624年 - )。
- 1634年 - ジャンバティスタ・バジーレの遺稿から説話集『ペンタメローネ(五日物語)』出版(死去は1632年) 。
- 1634年 - カンパネッラがフランスに亡命する。
- 1635年 - フレスコバルディ「音楽の花束」。
- 1635年 - 【フランス】マラン・メルセンヌ神父による学識者の研究会「メルセンヌ・アカデミー」が開かれる。
- 1635年 - 【スペイン】カルデロン『人生は夢』。
- 1635年 - 【スペイン】ベラスケス「ブレダの開城」完成。
- 1636年 - イングランドの哲学者ホッブズがガリレオ・ガリレイを訪問。
- 1637年 - 【オランダ】チューリップ・バブルの崩壊(世界初のバブル経済)。
- 1637年 - 【フランス】デカルト『方法序説』出版。
- 1638年 - イエズス会士アタナシウス・キルヒャーがグレゴリアン大学でオリエント諸語講義を始める。
- 1638年 - バルベリーニ家出身の教皇ウルバヌス8世の命によりバルベリーニ宮殿完成。
- 1638年 - イングランドの詩人ジョン・ミルトンがガリレオ・ガリレイを訪問。
- 1638年 - 【フランス】ジャン・フランソワ・ニスロンが『奇妙な遠近法』でアナモルフォーシスの作図法をまとめる。
- 1639年 - ピエトロ・ダ・コルトーナによるバルベリーニ宮殿大広間天井画「神の摂理」完成(1633年 - )。
- 1639年 - ナポリのスペイン人画家ホセ・デ・リベーラによる「聖バルトロマイ(聖フィリポ)の殉教」。
- 1639年 - 【フランス】カンパネッラがパリのドミニコ修道院で死去(→1634年)。
- 1640年 - 【フランドル】イプル司教コルネリウス・ヤンセンの遺作『アウグスティヌス』がルーヴァンで出版される。
- 1640年 - 【スペイン】バルタサル・グラシアン『政治家カトリック王フェルナンド』。
- 1640年頃 - 【フランス】ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「大工の聖ヨセフ」。
- 1641年 - カストロの領有権をめぐってパルマ公オドアルド1世と教皇ウルバヌス8世が衝突(カストロ戦争、 - 1649年)。
- 1641年 - アタナシウス・キルヒャー『磁石あるいは磁気の術』を出版。
- 1642年 - モンテヴェルディのオペラ「ポッペーアの戴冠」。
- 1642年 - アルチェトリにてガリレオ・ガリレイ死去。
- 1642年 - 【イングランド】イングランド内戦から清教徒革命勃発( - 1649年)。
- 1643年 - アタナシウス・キルヒャー『リングア・エジプティアカ・レスティトゥタ(エジプトの言語の再構築)』を出版。
- 1643年 - モンテヴェルディ死去。
- 1657年 - メディチ家の援助により、ガリレオの弟子トリチェリらによってアカデミア・デル・チメントが設立される。
- 1668年 - カトリックに帰依したクリスティーナ元スウェーデン女王がローマに定住。
- 1674年にはアカデミー(Academia clementina)を設立。
- イタリア・ルネサンス年表のページへのリンク