三十年戰爭とは? わかりやすく解説

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さんじゅうねん‐せんそう〔サンジフネンセンサウ〕【三十年戦争】

読み方:さんじゅうねんせんそう

1618年から1648年にかけて、ドイツ中心に行われた宗教戦争ボヘミア王フェルディナント新教徒圧迫原因で、デンマーク・スウェーデン・フランスも参戦ウエストファリア条約によって終結した主な戦場となったドイツ国土荒廃し皇帝弱化による諸邦の分裂相まって著しく近代化が遅れることになった


さんじゅうねんせんそう 【三十年戦争】

一六一八年から四八年までの三〇年間に、ドイツ中心に欧州各国参戦した宗教戦争ハプスブルク家ブルボン家対抗を軸に、ドイツ新旧教徒諸侯内戦としてボヘミア起り旧教側にスペイン新教側にデンマーク・スウェーデン・フランスが加担し国際戦争発展ウエストファリア条約終結。スイス・オランダの独立皇帝失墜ドイツ国内分裂促進近代化の遅れなどをもたらした宗教戦争最大のもの。

三十年戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 01:58 UTC 版)

三十年戦争(さんじゅうねんせんそう、: Dreißigjähriger Krieg, : Thirty Years' War)は、主にドイツ神聖ローマ帝国)を舞台として1618年から1648年にかけて戦われた宗教的・政治的諸戦争の総称[1]である。


注釈

  1. ^ 対スペイン戦争 1625–30 (内1627–29は対フランス戦)
  2. ^ ハンガリー語版Wikipediaの記事「Hussar (Huszár)」(ユサール)も参照されたい。
  3. ^ トルステンソン戦争において、デンマークは、スウェーデン及びネーデルラント連合と戦った。
  4. ^ ベトレン・ガーボルの軍隊は、5,000人のハンガリー槍兵、1,000人のドイツ人傭兵に加え、約35,000人の反ハプスブルク家勢力で構成されていた。[5]
  5. ^ ミラノ公国から西のサヴォイア公国を通り、北上してフランシュ=コンテアルザスを通過してネーデルラントに到着する道と、ミラノから北へ進みスイス東部を貫き、国境線に沿いながらアルザスで最初の道と合流するルートを指す。また、2つ目の道からスイスとミラノの国境で東に分かれ、ヴァルテリーナ渓谷を通過してチロルザルツブルクを経てオーストリアに辿り着くルートも存在し、これらのルートで軍と物資の輸送を行っていたため確保に全力を注いでいた[16]
  6. ^ なお、プファルツ選帝侯の息子のフリードリヒ5世はイングランド王ジェームズ1世の娘エリザベスと結婚している。Frederick the Winter King. The Columbia Encyclopedia, Sixth Edition. 2001-07”. www.bartleby.com. 2008年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年5月24日閲覧。
  7. ^ ユーリヒ=クレーフェ=ベルク公は、ユーリ匕公[17]、クレーヴェ大公とも表記[14]
  8. ^ フリードリヒ5世はその後も復位を狙っていたが、スウェーデン王グスタフ2世アドルフの戦線復帰要請は拒み、1632年に客死した。
  9. ^ グスタヴ・アドルフとも表記[22]

出典

  1. ^ a b c d e ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「三十年戦争」
  2. ^ Helmolt 1903, p. 573.
  3. ^ 1620年に投入されたベトレン・ガーボルの兵。Ágnes Várkonyi: Age of the Reforms, Magyar Könyvklub publisher, 1999. ISBN 963-547-070-3
  4. ^ Ervin Liptai: Military history of Hungary, Zrínyi Military Publisher, 1985. ISBN 9633263379
  5. ^ a b László Markó: The Great Honors of the Hungarian State (A Magyar Állam Főméltóságai), Magyar Könyvklub 2000. ISBN 963-547-085-1
  6. ^ a b Peter H. Wilson, Europe's Tragedy: A New History of the Thirty Years War (London: Penguin, 2010), 787.
  7. ^ Norman Davies, Europe, p.568
  8. ^ a b c d 中村賢二郎「三十年戦争」日本大百科全書(ニッポニカ)。中村賢二郎「三十年戦争」世界大百科事典 第2版
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm #木村・成瀬・山田編 1997,pp.485-507.
  10. ^ Roberts, J. M. (John Morris), 1928-2003 (2014). The Penguin history of the world. Westad, Odd Arne (Sixth revised ed.). London. ISBN 978-1-84614-443-1. OCLC 862761245 
  11. ^ Steinberg 1977, p. 51-67.
  12. ^ 菊池 1995 p.34
  13. ^ 伊藤 宏二『翻訳ヨハネス・ブルクハルト著『三十年戦争』(一)』静岡大学教育学部〈静岡大学教育学部研究報告.人文・社会・自然科学篇 巻64〉、2014年3月、225頁。ISSN 18843492https://doi.org/10.14945/00007862 
  14. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am 木村編 2001, pp.99-117.
  15. ^ #木村・成瀬・山田編 1997,pp.465-466
  16. ^ 菊池 1995, pp. 28-29. ウェッジウッド 1998, pp. 30-31.
  17. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj Sigfrid 1973
  18. ^ a b c d e f #木村・成瀬・山田編 1997,pp.469-474
  19. ^ 「クサンテン条約」ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
  20. ^ 菊池 2002,p.145
  21. ^ 菊池 2002,p.146
  22. ^ a b c d e f g h i 百瀬・熊野・村井編 1998,pp.144-152
  23. ^ クラパム 『イングランド銀行 1』 序章
  24. ^ 今井編 1990, pp. 168-180. 小林 2007, pp. 142-148.
  25. ^ ::The Peace of Prague::”. www.historylearningsite.co.uk. 2008年5月24日閲覧。
  26. ^ #木村・成瀬・山田編 1996,p3
  27. ^ 伊藤宏二『ヴェストファーレン条約と神聖ローマ帝国 : ドイツ帝国諸侯としてのスウェーデン』九州大学出版会、2005年。ISBN 4873788919全国書誌番号:20973022https://id.ndl.go.jp/bib/000008055752 
  28. ^ a b 谷本正行「CSISから眺めた国際情勢 : 国際秩序の行方(上)」『海外投融資』第24巻第2号、海外投融資情報財団、2015年3月、32-35頁、CRID 1521699230411428608ISSN 09178732 
  29. ^ 明石欽司「国際法学説における「ウェストファリア神話」の形成(一) : 一七世紀後半から一九世紀の「国際法」関連文献の検討を通じて」『法學研究 : 法律・政治・社会』第80巻第6号、慶應義塾大学法学研究会、2007年6月、1-32頁、CRID 1050001338953921408ISSN 0389-0538 
    明石欽司「国際法学説における「ウェストファリア神話」の形成(二) : 一七世紀後半から一九世紀の「国際法」関連文献の検討を通じて」『法學研究 : 法律・政治・社会』第80巻第7号、慶應義塾大学法学研究会、2007年7月、59-98頁、CRID 1050282813930633600ISSN 0389-0538 
    明石欽司「国際法学説における「ウェストファリア神話」の形成(三・完) : 一七世紀後半から一九世紀の「国際法」関連文献の検討を通じて」『法學研究 : 法律・政治・社会』第80巻第8号、慶應義塾大学法学研究会、2007年8月、1-28頁、CRID 1050282813930634496ISSN 0389-0538 
  30. ^ 玉木俊明、「近世スウェーデン経済史概観 (中園史彦名誉教授記念号)」『京都マネジメント・レビュー』 12巻 2007年 p.69-82, 京都産業大学マネジメント研究会, ISSN 1347-5304


「三十年戦争」の続きの解説一覧

三十年戦争(さんじゅうねんせんそう)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 16:41 UTC 版)

境界線上のホライゾン」の記事における「三十年戦争(さんじゅうねんせんそう)」の解説

M.H.R.R.の内乱に始まる各国巻き込んだ大戦争ヴェストファーレン会議をもって終結する

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三十年戦争(1618年 - 1648年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 00:47 UTC 版)

ハイリゲンシュタット・イン・オーバーフランケン」の記事における「三十年戦争(1618年 - 1648年)」の解説

三十年戦争は、幾多大規模な戦争中でも最大被害もたらした戦争であった1632年9月10日にミシュテンドルフの司祭は、目撃したトイヒアッツとティーファーペルツの略奪について報告している。スウェーデン軍ではなくカトリック教徒皇帝軍が略奪実行者であった。シュトライトブルクのカストナーは、1633年クルムバッハ辺境伯宛ててこう書いている。「家畜穀物持ち去られた。人のいる集落では、哀れにも、その半分以上殺された。」物資発信地は、フォルクマンスロイト、ブルン、オーバーラインライター、ブルクグルプ、シュトゥヒトであった。この時代記録多く散逸してしまい、これ以上のことはよくわからない誰が攻撃し誰が抵抗したのかも、多く判明していない。1634年6月12日ヴァイマル騎兵略奪し農民から家畜奪っていった。目撃者はこう書いている。「同じ日に、ホルフェルト周辺だけでも3つの燃えていた。炎はをも焦がすようだ。」この時、ハイリゲンシュタット襲われたと考えるのは自然なことである。

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