三十年戦争とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 01:47 UTC 版)
「ニュルンベルク」の記事における「三十年戦争とその後」の解説
三十年戦争の時代、ニュルンベルク周辺の地域は長年続いた陣地戦の戦場となった。ニュルンベルク自体が征服されることはなかったものの、周辺地域の荒廃により交易が廃れ、経済的に次第に衰弱していった。戦後は1649年にニュルンベルクで「平和の宴」が催され、敵対していた両陣営がともに何日も祝宴を行い、平和の祝賀ムードを確かめ合った。帝国議会の開催地は1663年以降レーゲンスブルクに常置することが定められた。 1700年前後に活躍したバロック期の音楽家ヨハン・パッヘルベルはこの街の出身で、晩年にこの街のゼーバルドゥス教会にオルガン奏者として戻り、そこで没している。
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