フォリナーとは? わかりやすく解説

フォリナー【foreigner】

読み方:ふぉりなー

《「フォーリナー」とも》外国人外国製品。


フォリナー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/24 00:12 UTC 版)

フォリナー
ドイツ・ニュルンベルク公演(2016年8月)
基本情報
別名 Trigger(1976年)
出身地 アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ニューヨーク
ジャンル
活動期間 1976年 -
レーベル
公式サイト Foreigner | The Official Website
メンバー
旧メンバー 別記参照

フォリナーForeigner)は、イギリス人とアメリカ人からなるアメリカ合衆国で結成されたロックバンド

1970年代後半に始まった産業ロックのアメリカ版である、「スタジアム・ロック」で大成功を収めたバンドの一つ。アルバム総セールスは8000万枚以上を記録した。ミック・ジョーンズルー・グラムを中心とした英国人・米国人混合グループである。

概要

バンドのロゴ

[6] バンド名「フォリナー (=外国人)」は、英米が混在するメンバー構成を由来とする。活動初期はハードロックアメリカン・プログレ・ハードのジャンルに含まれた。ブリティッシュ・ロックのフリーバッド・カンパニーをMOR的にしたポップなサウンドで、デビュー当初から大成功を収めた。

1980年代初頭から、AOR的なサウンドに変化し、バラード曲をメインとして、1980年代の音楽市場でも、莫大な利益を上げた。その大きなセールスをもたらした商業主義的手法が、ジャーニースティクスらとともに、スタジアム・ロック(産業ロック)の典型として挙げられることも多い。

略歴

創設メンバー(左)アル・グリーンウッドと(右)イアン・マクドナルド (2009年)

1970年代後半

[7] 1976年ニューヨークにて、元マウンテンの「レスリー・ウェスト・バンド」で活動していたミック・ジョーンズ(元スプーキー・トゥース)や元「キング・クリムゾン」のイアン・マクドナルドが、セッション仲間のデニス・エリオット(元イフ)に、ルー・グラム(元ブラック・シープ)、アル・グリーンウッド(元ストーム)、エド・ガリアルディのアメリカ人達と意気投合し、バンドを結成した。

彼らはロックバンド「Trigger」という暫定のバンド名で、デモテープを各社に持ち込み、大手レーベル「アトランティック・レコード」と契約。名を「フォリナー」と改めデビューした。フリーやバッド・カンパニーを水で薄めたようなサウンドではないかとの批判は、デビュー当初から付きまとった。

1977年、1stアルバム『栄光の旅立ち』を発表。全米チャート4位を記録し400万枚を突破、デビュー作から成功を手にした。シングル「衝撃のファースト・タイム[8]もヒットした。

1978年リリースの2ndアルバム『ダブル・ヴィジョン』が前作を上回る500万枚に達して全米チャート3位を記録し、シングルカットした表題曲「ダブル・ヴィジョン」が全米2位に上昇。同年に早くも初来日公演が実現する。

1979年、音楽性の相違からエドが脱退して、リック・ウィルス(元スモール・フェイセス)に交代。3rdアルバム『ヘッド・ゲームス』は全米チャート5位を記録し、300万枚の安定したセールスを維持した。

1980年代:ヒット連発

若き日のルー・グラム (1979年)

1980年、次作の制作を開始する中、ミック・ジョーンズとルー・グラムの主導権が強くなり、不満を持ったイアン・マクドナルドやアル・グリーンウッドと対立。結局イアンとアルが脱退し、残る4人編成で活動を継続する[注釈 1]

1981年、発表した4thアルバム『4』が1500万枚以上の大ヒットとなり、全米チャートで10週連続1位を記録。翌年のアルバム年間チャートでは第3位を記録した。シングル「ガール・ライク・ユー」も全米チャート10週連続2位を記録。翌1982年に初のコンピレーション作品『ベスト・オブ・フォリナー』をリリース。

1984年、5thアルバム『プロヴォカトゥール (煽動)』をリリースし、翌1985年にシングル「アイ・ウォナ・ノウ」が初の全米シングルチャート1位(2週連続)を獲得、年間チャートでも第4位を記録する。しかしこの時期をピークに、バラード曲スタイルのマンネリ化も進んでいた。ルーはバンドの今後を危惧するようになる。

1987年、6thアルバム『インサイド・インフォメーション』を発表した頃には、バラード路線を維持したいミックと反対するルーとの確執が表面化する。

1990年代:人気下降、ルー・グラム脱退

3年後の1990年、ルーが正式に脱退し、代わりにジョニー・エドワーズ(ボーカル)が加入。翌1991年に心機一転の7thアルバム『アンユージュアル・ヒート』を発表するが、全米チャート100位以下の惨敗に終わる。

1992年、今度はオリジナル・メンバーのデニス・エリオットと、リック・ウィルスという主力が脱退。そこでミックはルーと関係を改善してバンドに呼び戻し、新たに編成を組み直す。1994年、8thアルバム『Mr.ムーンライト』を発表。ここから暫くオリジナル・アルバムのリリースが途絶える。

1997年、ルーが脳腫瘍を患い活動が停滞する。手術を施して翌年に復帰するが、投薬やリハビリの影響もありパフォーマンスは芳しくなかった。

2000年代に入り、ようやくルーの体調が回復して活動が活発化し、2002年にはデビュー25周年に関連した多くの企画を実施した。そしてここを区切りに、翌年ルーが再び脱退する。これでオリジナル・メンバーはミックだけとなった。

2000年代以降〜ミック・ジョーンズ主導

2009年のグループショット

2004年から2005年にかけ、大幅なメンバーチェンジを実行する。新ボーカリストにケリー・ハンセン(元ハリケーン)が就任。ジェイソン・ボーナム(ドラムス)やジェフ・ピルソン(元ドッケン)といった著名なミュージシャンが加入した。そしてデビュー30周年に向け大々的なライブを企画。翌2006年にライブ作品『Extended Versions』として発表した。

2007年、14年ぶりの来日公演を開催。

2009年、15年ぶりの9thアルバム『キャント・スロー・ダウン』をリリース。久々に全米チャートTOP30入りを果たした。以降はライブを主軸とした活動にシフトしていく。

2011年、ブルース・ワトソン(ギター)が加入し、この時点で7人編成の大所帯となる。翌2012年、ミックが心臓のバイパス手術を受けた[9]

2013年、「ソングライターの殿堂」授賞式にて、殿堂入りしたミックとルーが10年ぶりに共演[10]

ドイツ・ヴァッケン公演 (2016年8月)

2014年、オリジナル・メンバーのエド・ガリアルディが死去[11]。同年、かつて大ヒットした4thアルバム『4』を完全再現したライブ作品『ザ・ベスト・オヴ・フォリナー4・ライヴ&モア』をリリースする[12]

2016年、デビュー40周年を記念し、全40曲入りコンピレーション作品『40 -40ヒッツ・フロム・40イヤーズ ベスト・オブ・フォリナー』をリリース[13]。またこの年、多くのライブフェスに参加した。

2017年、結成40周年を記念した夏のスペシャル・ツアーに、クラシック・メンバーが参加の意向を示す[14]

2018年11月9日、「Double Vision:Then And Now」と題した、アルバム『ダブル・ヴィジョン』発表40周年記念ライブ・ツアーの初日を、現ラインナップとクラシック・ラインナップそれぞれのステージの後、全員参加のステージという構成で行った[15]

2022年2月、創設メンバーのイアン・マクドナルドが75歳で死去[16]。11月、最後となる北米ツアーをサポート・アクトにラヴァーボーイを迎え、2023年7月から開始することを発表[17]

2024年4月21日、米国・Rock & Roll Hall Of Fameより、『2024年度ロックの殿堂 パフォーマー部門』での殿堂入りが発表された[18]。殿堂入りの対象メンバーは、ルー・グラム(ボーカル)、ミック・ジョーンズ(ギター)、デニス・エリオット(ドラムス)、エド・ガリアルディ(ベース)、アル・グリーンウッド(キーボード)、イアン・マクドナルド(キーボード)、リック・ウィルス(ベース)の7人[19]

メンバー

現ラインナップ

旧メンバー

  • イアン・マクドナルド (Ian McDonald) - ギター、キーボード、サクソフォーン (1976年–1980年) 2022年死去 元キング・クリムゾン
  • ルー・グラム (Lou Gramm) - ボーカル (1976年-1990年、1992年-2003年)
  • エド・ガリアルディ (Ed Gagliardi) - ベース (1976年-1979年) 2014年死去
  • アル・グリーンウッド (Al Greenwood) - キーボード (1976年-1980年)
  • デニス・エリオット (Dennis Elliott) - ドラムス (1976年-1992年) 元イフ
  • リック・ウィルス (Rick Wills) - ベース (1979年-1992年) 元スモール・フェイセス
  • ジョニー・エドワーズ (Johnny Edwards) - ボーカル、リズムギター (1990年-1992年)
  • ジェフ・ジェイコブス (Jeff Jacobs) - キーボード (1991年-2007年)
  • ブルース・ターゴン (Bruce Turgon) - ベース (1992年-2003年)
  • マーク・シュルマン (Mark Schulman) - ドラムス (1992年-1995年、2000年-2002年、2011年-2012年)
  • スコット・ジルマン (Scott Gilman) - リズムギター、サクソフォーン (1993年-1995年)
  • ロン・ウィクソ (Ron Wikso) - ドラムス (1995年-1998年)
  • ブライアン・ティッシー (Brian Tichy) - ドラムス (1998年-2000年、2007年-2012年)
  • デニー・カーマッシ (Denny Carmassi) - ドラムス (2002年-2003年)
  • チャズ・ウェスト (Chas West) - ボーカル (2004年-2005年)
  • ジェイソン・ボーナム (Jason Bonham) - ドラムス (2004年-2008年)
  • ポール・ミロービック (Paul Mirkovich) - キーボード (2007年-2008年)
  • ブライアン・ヘッド (Bryan Head) - ドラムス (2008年)
  • ジェイソン・サター (Jason Sutter) - ドラムス (2010年-2011年)
  • トム・ギンベル (Thom Gimbel) - リズムギターサクソフォーン (1992年–1993年、1995年-2021年)
  • ケリー・ハンセン (Kelly Hansen) - ボーカル (2005年-2025年 ) 元ハリケーン

ディスコグラフィ

スタジオ・アルバム

タイトル アルバム詳細 チャート最高位 認定
US
[20]
AUT
[21]
CAN
[22]
GER
[23]
NOR
[24]
NZ
[25]
SWI
[26]
UK
[27][28]
1977 栄光の旅立ち
Foreigner
  • 発売日: 1977年3月8日
  • レーベル: Atlantic
  • 全米売上: 500万枚[29]
4 9 1
  • US: 5× プラチナ[29]
  • CAN: プラチナ
1978 ダブル・ヴィジョン
Double Vision
  • 発売日: 1978年6月20日
  • レーベル: Atlantic
  • 全米売上: 700万枚[29]
3 3 32 32
  • US: 7× プラチナ[29]
  • CAN: 2× プラチナ
  • UK: プラチナ[30]
1979 ヘッド・ゲームス
Head Games
  • 発売日: 1979年9月11日
  • レーベル: Atlantic
  • 全米売上: 500万枚[29]
5 5 39 38
  • US: 5× プラチナ[29]
  • CAN: 2× プラチナ
  • UK: プラチナ[30]
1981 4
4
  • 発売日: 1981年7月2日
  • レーベル: Atlantic
  • 全米売上: 600万枚[29]
1 2 4 19 5
  • US: 6× プラチナ[29]
  • AUS: プラチナ[31]
  • FRA: ゴールド
  • GER: ゴールド
  • UK: プラチナ[32]
1984 プロヴォカトゥール (煽動)
Agent Provocateur
  • 発売日: 1984年12月7日
  • レーベル: Atlantic
  • 全米売上: 300万枚[29]
4 10 3 1 1 4 1 1
  • US: 3× プラチナ[29]
  • FRA: ゴールド
  • GER: プラチナ
  • UK: プラチナ[32]
1987 インサイド・インフォメーション
Inside Information
  • 発売日: 1987年12月8日
  • レーベル: Atlantic
  • 全米売上: 100万枚[29]
15 23 7 5 7 64
  • US: プラチナ[29]
  • UK: シルバー[32]
1991 アンユージュアル・ヒート
Unusual Heat
  • 発売日: 1991年6月14日
  • レーベル: Atlantic
117 30 50 18 8 56
1994 Mr.ムーンライト
Mr. Moonlight
  • 発売日: 1994年10月31日
  • レーベル: Arista
136 69 21 17 59
2009 キャント・スロー・ダウン
Can't Slow Down
  • 発売日: 2009年9月29日
  • レーベル: Rhino
29 58 16 26 105
"—"は未発売またはチャート圏外を意味する。

ライブ・アルバム

ほか

コンピレーション・アルバム

  • ベスト・オブ・フォリナー』 - Records(1982年)※全米10位
  • 『ベリー・ベスト・オブ・フォリナー』 - The Very Best of Foreigner(1992年)※全英19位
  • アンド・ビヨンド (ベスト・オブ)』 - The Very Best... and Beyond(1992年)※全米123位
  • 『ベスト・オブ・バラード』 - The Best of Ballads – I Want to Know What Love Is(1998年)※全米123位
  • Complete Greatest Hits(2002年)※全米80位
  • 『ヴェリー・ベスト・オブ・フォリナー』 - The Definitive Collection(2006年)
  • 『コンプリート・ベスト~ノー・エンド・イン・サイト』 - No End in Sight: The Very Best of Foreigner(2008年)
  • 『40 -40ヒッツ・フロム・40イヤーズ ベスト・オブ・フォリナー』 - 40(2017年)
ほか

シングル

同年年間チャート第4位。バンド唯一の全米No.1シングル。
  • イエスタデイ」 - "That Was Yesterday"(1985年5月4日)※全米12位
  • 「リアクション・トゥ・アクション」 - "Reaction to Action"(1985年6月29日)※全米54位
  • 「ダウン・オン・ラヴ」 - " Down on Love"(1985年9月14日)※2週連続全米54位
  • セイ・ユー・ウィル」 - "Say You Will"(1988年2月20日)※全米6位
  • 「ウィズアウト・ユー」 - "I Don't Want to Live Without You"(1988年5月28日)※全米5位
  • 「ハート・ターンズ・トゥ・ストーン」 - "Heart Turns to Stone"(1988年8月6日)※2週連続全米56位
  • 「ウィズ・ヘヴン・オン・アワ・サイド」 - "With Heaven On Our Side"(1992年12月19日)※全米103位
  • 「アンティル・ジ・エンド・オブ・タイム」 - "Until The End Of Time"(1995年5月6日)※全米42位

日本公演

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ インタビュー補足
    あの時期はあまりにも忙しかった。だけどハッキリと覚えているのはエレクトリック・レディ・スタジオでフォリナーが『4』を製作していた事だ。僕らが『プライベート・アイズ』を製作したのと同時に彼らも製作をスタートさせていたんだ。ところが製作中にイアンとアルだけがスタジオに来て、2人が帰ると他の4人がやって来てアルバムを製作という事が繰り返された。そのうちイアンとアルはスタジオに来なくなった。まあ脱退したって事は後で知ったけどね…。それから僕らがアルバムを仕上げ、1年間のツアーに出て、次のアルバム『H2O』を製作する為にスタジオに戻って来てみると彼らはまだスタジオでアルバムを製作していたんだよ。それから僕らが『H2O』を仕上げてロードに出ても、まだ『4』を製作していたね。結局、彼らの方が僕らの約15倍ものレコードを売り上げる事になったけど — ダリル・ホール

出典

  1. ^ a b Prato, Greg. Foreigner Biography, Songs, & Albums - オールミュージック. 2023年4月4日閲覧。
  2. ^ Greene, Doyle (2012). Teens, TV and Tunes: The Manufacturing of American Adolescent Culture. Jefferson, North Carolina: McFarland, Incorporated, Publishers. p. 182. ISBN 978-0-786-48972-5 
  3. ^ Weinstein, Deena (2015). Rock'n America: A Social and Cultural History. University of Toronto Press. p. 164. ISBN 978-1-442-60015-7 
  4. ^ Goldsmith, Melissa Ursula Dawn (2019). Listen to Classic Rock! Exploring a Musical Genre. Santa Barbara, California: ABC-CLIO. p. 8. ISBN 978-1-440-86579-4 
  5. ^ 元スプーキー・トゥース
  6. ^ Foreigner プロフィール - ワーナーミュージック・ジャパン
  7. ^ Foreigner バイオグラフィ - BARKS
  8. ^ http://www.songfacts.com/detail.php?id=12053
  9. ^ フォリナーのミック・ジョーンズ、心臓のバイパス手術を受ける。順調に回復 - amass
  10. ^ フォリナーのミック・ジョーンズとルー・グラムが10年ぶりの共演パフォーマンスを披露 - amass
  11. ^ フォリナーのオリジナル・メンバー、エド・ガリアルディが死去 - amass
  12. ^ フォリナー 81年作『4』楽曲を現在の編成で再現したライヴ・アルバム『The Best Of Foreigner 4 & More』を発売 - amass
  13. ^ フォリナーが40周年を記念したベスト・アルバム『40』をリリース、新曲2曲も収めた全40曲入り - amass
  14. ^ ルー・グラム、フォリナーのツアー参加を認める - BARKS
  15. ^ フォリナー、クラシック・ライナップ&現ラインナップ参加の『Double Vision』40周年記念公演スタート - amass
  16. ^ 元キング・クリムゾンのイアン・マクドナルドが逝去。享年75歳”. NME JAPAN (2022年2月11日). 2022年2月12日閲覧。
  17. ^ FOREIGNERがライヴ活動に終止符を打つフェアウェル・ツアーを発表!”. BURRN! ONLINE. 2022年11月20日閲覧。
  18. ^ オジー・オズボーン、フォリナー、ピーター・フランプトンがロックの殿堂入り”. BARKS (2024年4月22日). 2024年4月23日閲覧。
  19. ^ ルー・グラム、フォリナーのロックの殿堂入りに「ほっとした」”. BARKS (2024年4月25日). 2024年4月26日閲覧。
  20. ^ https://www.allmusic.com/artist/p4296/charts-awards
  21. ^ austriancharts.at - Austria Top 40”. austriancharts.at. 2010年2月25日閲覧。
  22. ^ Canadian peaks
  23. ^ Musicline.de - Chartverfolgung - Foreigner”. musicline.de. 2010年3月29日閲覧。
  24. ^ norwegiancharts.com - Norwegian charts portal”. norwegiancharts.com. 2010年2月25日閲覧。
  25. ^ charts.org.nz - New Zealand charts portal”. charts.org.nz. 2024年1月21日閲覧。
  26. ^ hitparade.ch - Foreigner”. hitparade.ch. 2010年3月29日閲覧。
  27. ^ everyHit.com search results Archived October 12, 2008, at the Wayback Machine.
  28. ^ FOREIGNER songs and albums”. Official Charts Company. 2024年1月21日閲覧。
  29. ^ a b c d e f g h i j k l RIAA Gold and Platinum Search for albums by Foreigner
  30. ^ a b BPI Certification”. British Phonographic Industry. 2016年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月18日閲覧。
  31. ^ ARIA Charts - Accreditations - 1997 Albums”. Australian Recording Industry Association. 2008年5月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月7日閲覧。
  32. ^ a b c The Bpi

外部リンク


フォリナー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/20 18:38 UTC 版)

17歳 (漫画)」の記事における「フォリナー」の解説

かつて地球襲来した地球外生命体外見人間地球人)と変わらない。「大侵略」を行い人間を虐殺人口100分の1にまで減らし科学技術利用出来なくし、200年に亘り地球占領した

※この「フォリナー」の解説は、「17歳 (漫画)」の解説の一部です。
「フォリナー」を含む「17歳 (漫画)」の記事については、「17歳 (漫画)」の概要を参照ください。

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