フォリナーと全盛期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 08:03 UTC 版)
オーディションのためニューヨークへ向かったルー・グラマティコは、ルー・グラムと改名。また、バンド名も「トリガー (Trigger)」からフォリナーに変更、ルーは1970年代後半から1980年代に最も成功したロックヴォーカリストの1人となった。サーカス誌は、1978年の「ホット・ブラッディッド」のリリースに際し、ルーの声はロバート・プラントが妬むかもしれないとコメント。彼のユニークなヴォーカルは、フォリナーをビルボードの史上最も偉大なアーティスト100に押し上げた。 ルーは、「衝撃のファースト・タイム」、「つめたいお前」、「ロング、ロング・ウェイ・フロム・ホーム」、「ホット・ブラッディッド」、「ダブル・ヴィジョン」、「蒼い朝」、「ヘッド・ゲームス」、「ダーティ・ホワイト・ボーイ」、「アージェント」、「ジューク・ボックス・ヒーロー」、「ブレーク・イット・アップ」、「セイ・ユー・ウィル」など、フォリナーのヒット曲の全てでリードヴォーカルをとっている。また、バンドの多くの曲を共作しており、バラードで大ヒットした「ガール・ライク・ユー」(アメリカで1981年-82年に10週間連続2位)、「アイ・ウォナ・ノウ」(1985年にイギリス、アメリカなどで1位)の2曲もこれに含まれる。彼らの最初の8つのシングルは、ビルボードの20位入りし、この記録を成し遂げたのは、ビートルズ以来である。 ルーとミックはチャートで多くのヒットを飛ばしたが、音楽性の理由等で衝突することも度々あった。成功を収めたセカンドアルバム『ダブル・ヴィジョン』以降、バンドはメンバーチェンジを繰り返すことになる。3作目のアルバム『ヘッド・ゲームス』発表後には、メンバーは6人から4人となる。ルーがフォリナーと彼の仕事の最高点にあると評した4作目のアルバム『4』は、ドラムとギターによる純粋なロック要素を残した内容となった。これに対しミックは1980年代当時の売れ筋であったシンセサイザー・バラードのスタイルに拘る等、ふたりの音楽の方向性に開きが生じた。このため次のアルバム『プロヴォカトゥール』では、調整役としてトレヴァー・ホーンやアレックス・サドキンといった共同プロデューサーを迎え入れた。
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