TTNetによるアステル東京・東京電話アステル事業
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「アステル東京」の記事における「TTNetによるアステル東京・東京電話アステル事業」の解説
1998年にNTTパーソナルが経営の継続を断念したことと同じく、加入者数の伸び悩みによる経営不振により、日本テレコムなど出資者と協議の上、1999年4月1日付で株式会社アステル東京はTTNetに吸収合併し、TTNetの一サービスとして再スタートを切った。 この頃になるとバックボーンにISDNではなく専用線やダークファイバを用い、光ファイバを直接接続できるPHSアンテナが使えるようになっていたことや、TTNetが1998年に中継電話サービスの「東京電話」を開始したことを機に電話交換機等を大幅に増強したため、設備にアステルの需要に対応できるだけの余裕が生じていたことなどから、NTTに支払うアクセスチャージの軽減等を目的として、従来NTTのISDN回線を主体としていた網構成を順次TTNet独自の光ファイバ網に切り替える作業が進められた。同年5月には「東京電話」とアステル東京のセット割引サービス「東京セット」を開始、12月には「東京電話インターネット」等のISPに接続する際の通話料が割安となる「@6(アットシックス)」サービスも開始した。 2000年5月にサービス名称を「東京電話アステル」と変更し、ロゴタイプも東京電話に準じたレトロ調になった。同年12月にはCompact HTMLブラウザ、任意のISP(PIAFSアクセスポイント)・メールサーバへ接続可能な仕様を組み合わせた「ドットi」と対応機種「AJ-51」をリリース。任意のアクセスポイントへの接続は先駆けであった。しかし同時期にサービスインしたカラー液晶・12和音着信音・外付けカメラ・H"Link・SoundMarket(音楽配信)などを兼ね備えた「feel H"」とガチンコ勝負となった。1999年12月よりカラー液晶の携帯電話端末が登場している状況下で発売されたモノクロ液晶と3和音のAJ-51は、一般人に広く受け容れられず契約数が増加する起爆剤にはならなかった。この頃TTNetの法人顧客等を対象に「内線PHS」向けの拡販にも力が入れられた。 アステルの加入者減少には歯止めがかからず、結局2002年4月には東京電話アステル事業を鷹山グループに譲渡することが正式決定した。またそれに伴い、経費削減の一環として直営店の「アステルプラザ」を順次閉鎖し、端末の販売やユーザーサポートは原則としてWeb上で行うこととなった。
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