PAPAL BULLとは? わかりやすく解説

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ペイパルブル

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 10:16 UTC 版)

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ペイパルブル
2007年11月25日 東京競馬場
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 2003年3月29日(18歳)
死没 存命
Montjeu
Mialuna
母の父 Zafonic
生国 イギリス
生産 B.H&C.F.D.シンプソン
馬主 J.マグナー夫人
D.スミス、
M.テイバー
→ペイパルブル・シンジケート
調教師 M.スタウトニューマーケット
厩務員 ポール・ジョーンズ
競走成績
生涯成績 21戦6勝(総合)
16戦6勝(イギリス)
2戦0勝(フランス)
2戦0勝(中央競馬
1戦0勝(ドイツ)
獲得賞金 98万2834USドル
(中央競馬以外、
1USドル=112.0372円、
日本円約1億1010万円)
0円(中央競馬)
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ペイパルブル (Papal Bull) はイギリス競走馬である。

経歴

2004年(1歳)、セリ市へ上場され、10万ギニー(約2500万円)でクールモアグループ3名の所有となる。

戦績

2005年(2歳)、9月にニューマーケット競馬場で行われた条件戦でデビューし4着。続くソールズベリー競馬場での未勝利戦は2着。そして10月にレスター競馬場で行われた未勝利戦を1番人気で制し、初勝利を挙げた。

2006年(3歳)、4月にニューマーケット競馬場で行われたハンデ戦で勝利し、5月に重賞初出走となるチェスターヴェース (G3) に出走し、1番人気で重賞初挑戦で初勝利を挙げた。そしてダービーステークス (G1) に出走するが、17番人気で10着という結果に終わった。続くアスコット競馬場で行なわれたキングエドワード7世ステークス (G2) では同年秋にブリーダーズカップターフを制すことになるレッドロックスクビ差で重賞2勝目を挙げた。しかし次のグレートヴォルティジュールステークス (G2) は、1番人気に推されるも8着という結果に終わった。初の遠征となるフランスでのニエル賞 (G2) は、レイルリンクに敗れ5着だった。

2007年(4歳)、5月のジョッキークラブステークス (G2) から始動したが4着、続くブリガディアジェラードステークス (G3) は5着だったが、その後のプリンセスオブウェールズステークス (G2) を制し、久々に勝利を挙げた。そして8月にジェフリーフリーアステークス (G3) も制し、9月21日アークトライアル (G3) に出走したが3着だった。その後第27回ジャパンカップに予備登録を行い招待を受諾し、11月15日に同じくイギリスから同レースに挑むハリカナサスと同じ便で成田空港に到着し、JRA競馬学校に移動し輸入検疫を受け、11月19日にはゲート試験に合格した。11月21日東京競馬場へ移動した。そして迎えたジャパンカップではこの年の外国馬最先着となる7着という結果だった。

2008年(5歳)、休養中に馬主がイギリスのグーリー・パチェットとアイルランドのデーヴィッド・スタックが立ち上げた馬主組織であるペイパルブル・シンジケートに変更され、6月のコロネーションカップ (G1) から始動したが4着、続くプリンセスオブウェールズステークス (G2) とキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス (G1) では共に2着だった。8月にはドイツに初遠征し、ラインラントポカルに出走したが3着だった。しかし後日1着馬のオリエンタルタイガーが薬物使用のより失格となり2着に繰り上げとなった。そして、10月5日第87回凱旋門賞に出走したが、12着に終わった。凱旋門賞後は前年に続き予備登録を行っていたジャパンカップへの招待を受諾し、11月20日に同じくイギリスから同レースに挑むシックスティーズアイコンとパープルムーンと同じ便で成田空港に到着し、JRA競馬学校に移動し輸入検疫を受けた。そして、11月30日の第28回ジャパンカップに出走したが、いいところなく14着に敗れた。このレースを最後に現役を引退した。

種牡馬時代

2009年からアイルランド種牡馬入りした。

競走成績

年月日 競馬場 競走名 頭数 枠番 馬番 オッズ
(人気)
着順 騎手 斤量 距離(馬場) タイム
上り3F
タイム
勝ち馬/(2着馬)
2005 9. 3 ニューマーケット 2歳条件戦 8 4着 K.ファロン 55.5 芝1400m(良) 1:27.7(-.-) 0.4 プライマリー
9. 28 ソールズベリー 2歳未勝利戦 13 2着 K.ファロン 57 芝1600m(良) 1:45.0(-.-) 0.2 ボッテン
10. 11 レスター 2歳未勝利戦 13 1着 K.ファロン 56 芝1400m(良) 1:25.8(-.-) (クストー)
2006 4. 20 ニューマーケット 3歳ハンデ戦 10 1着 K.ファロン 59 芝2000m(良) 2:05.8(-.-) (リナスセレクション)
4. 11 チェスター チェスターヴァーズ G3 5 1着 K.ファロン 56 芝2460m(良) 2:35.2(-.-) (ドラゴンダンサー)
6. 3 エプソム ダービーステークス G1 18 10着 R.ウィンストン 57 芝2400m(良) 2:36.6(-.-) 1.4 サーパーシー
6. 23 アスコット キングエドワード7世S G2 9 1着 K.ファロン 56 芝2400m(良) 2:28.0(-.-) 0.0 レッドロックス
8. 22 ヨーク グレートヴォルティジュールS G2 10 8着 R.ムーア 57.5 芝2400m(稍) 2:38.3(-.-) 3.4 ユームザイン
9. 10 ロンシャン ニエル賞 G2 6 5着 K.ファロン 58 芝2400m(良) 2:32.7(-.-) 0.8 レイルリンク
2007 5. 6 ニューマーケット ジョッキークラブS G2 5 4着 K.マケヴォイ 57.5 芝2400m(良) 2:34.5(-.-) 1.0 シックスティーズアイコン
5. 31 サンダウン ブリカディアジェラードS G3 7 5着 J.ムルタ 59.5 芝2000m(稍) 2:10.1(-.-) 1.4 テークアバウ
7. 12 ニューマーケット プリンセスオブウェールズS G2 12 1着 R.ムーア 58 芝2400m(良) 2:34.5(-.-) シャヒン・レーヴロック[1]
8. 18 ニューベリー ジェフリーフリーアS G3 5 1着 R.ムーア 60.5 芝2660m(良) 2:53.8(-.-) (シャヒン)
9. 21 ニューベリー アークトライアル G3 6 3着 R.ムーア 61 芝2200m(良) 2:18.1(-.-) 2.0 ハリカナサス
11. 25 東京 ジャパンC GI 18 4 7 52.2(9人) 7着 R.ムーア 57 芝2400m(良) 2:25.5 (34.3) 0.8 アドマイヤムーン
2008 6. 6 エプソム コロネーションC G1 11 -.-(6人) 4着 R.ムーア 57 芝2400m(良) 2:37.2(-.-) 0.4 ソルジャーオブフォーチュン
7. 10 ニューマーケット プリンセスオブウェールズS G2 6 2着 R.ムーア 58 芝2400m(稍) 2:33.5(-.-) 0.2 ルカーノ
7. 26 アスコット KG6世&QES G1 8 -.-(5人) 2着 O.ペリエ 60.5 芝2400m(良) 2:28.0(-.-) 0.1 デュークオブマーマレード
8. 17 ケルン ラインラントポカル G1 6 2着 R.ムーア 60 芝2400m(良) 2:27.9(-.-) 0.1 カムジン[2]
10. 5 ロンシャン 凱旋門賞 G1 16 12着 J.フォーチュン 59.5 芝2400m(稍) 2:30.4(-.-) 1.6 ザルカヴァ
11. 30 東京 ジャパンC GI 17 7 14 26.0(7人) 14着 R.ムーア 57 芝2400m(良) 2:26.7 (34.9) 1.2 スクリーンヒーロー

※距離はメートル、斤量はキログラムに換算。

血統表

ペイパルブル血統サドラーズウェルズ系 / Northern Dancer3×5=15.63%、Hail to Reason4×5=9.38% (血統表の出典)

Montjeu
1996 鹿毛
父の父
Sadler's Wells
1981 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Fairy Bridge Bold Reason
Special
父の母
Floripedes
1985 鹿毛
Top Ville High Top
Sega Ville
Toute Cy Tennyson
Adele Toumignon

Mialuna
1997 鹿毛
Zafonic
1990 鹿毛
Gone West Mr. Prospector
Secrettame
Zaizafon The Minstrel
Mofida
母の母
Mamaluna
1986 栗毛
Roberto Hail to Reason
Bramalea
Kadesh Lucky Mel
News Release F-No.2-o

注釈

  1. ^ 2着同着
  2. ^ 優勝馬オリエンタルタイガーがレース後の薬物検査で失格処分のより2着のカムジン、3着ペイパルブルがそれぞれ繰り上げ。

外部リンク


教皇勅書

(PAPAL BULL から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/22 01:53 UTC 版)

1637年に出されたウルバヌス8世の鉛製印章付き勅書

教皇勅書(きょうこうちょくしょ、ラテン語: Bulla apostolica)とは、ローマ教皇によって出された一種の勅令をいう。教皇勅書の末尾には教皇の印章(ラテン語: bulla)が添えられる。それによりbullaという単語そのものが教皇勅書をも意味する。

元来、教皇勅書は教皇からのさまざまなメッセージを民衆に広く伝えるために発行されたが、15世紀以降は最も重要な正式通知を行う場合にのみ利用されるようになった。ローマ教皇によって出された文書であれば、それが正式なものか簡易なものかにかかわらず、過去にさかのぼってあらゆる勅令、勅許の類を教皇勅書と近年の研究者は呼んでいる。

教皇の印章は遅くとも6世紀には使用されていたが、教皇印章という名称が使われ始めたのは13世紀の中頃である。その後、教皇の文書記録を管理するために教皇庁内部で非公式に利用されるようになり、15世紀までに教皇庁尚書院の一つが「教皇文書集記録」(ラテン語: registrum bullarum)と呼ばれるようになると公式なものとなった。

今日、教皇が自分自身を「司教にして神のしもべのしもべ」(ラテン語: episcopus servus servorum Dei)と称する文書は教皇勅書のみである。たとえば、ベネディクト16世が教皇勅書の形式をとる教令を発するときの書き出しは、"Benedictus, Episcopus, Servus Servorum Dei"となる。かつては金属の印章が使用されたが、現在では最重要文書の場合に限られる。バチカン教皇庁尚書院が教皇の名において発行する勅令の中で、最も正式な形態が教皇勅書である。

様式

教皇勅書の一行目には、縦横に長い文字で教皇の名前に続いて、ラテン語で「司教にして神のしもべのしもべ」を意味する"Episcopus, Servus Servorum Dei"、およびインキピットの3つの要素が記述されている。インキピットはいくつかのラテン語の単語からなり、教皇勅書の記録上の名前がこれを元に作られるが、勅書の目的を必ずしも表さない。

本文の書式に関する決まりは特になく、通常は単純なレイアウトで記述される。結びには勅書が発行された場所、教皇の在位期間が年月日でデータ(datum)として記され、署名の近くに印章が付される。

最重要の教皇勅書には、教皇自身が"Ego [教皇名] Catholicae Ecclesiae Episcopus"(カトリック教会の司教であるところの私 [教皇名]、の意)という書式で署名する。この場合、署名に精巧なモノグラムと証人の署名、さらに印章が添えられる。現在はローマ教皇庁の一員が教皇に代わって署名することもあり、この場合はモノグラムが省略される。

印章

ウルバヌス5世の勅書に用いられた鉛製印章(1362年 - 1370年)、直径40ミリ

教皇勅書の最大の特徴は、通常は鉛で作られた金属製の印章が添えられていたことである。最も重要な勅書には金が使用されることも多かった(金印勅書東ローマ帝国やドイツ・神聖ローマ帝国などでも見られた形式である)。印章にはカトリック教会の創始者として使徒ペテロパウロを意味するSPASPE (Sanctus PAulus, Sanctus PEtrus)という文字と、反対側に勅書を発行した教皇の名前が彫られ、司法および行政関係の文書の場合には麻ひもで、また恩赦の場合には赤色と黄色の絹ひもで文書の皮紙に開けられた穴を通して添付された。

18世紀後半以降は、鉛の印章の代わりに、ペテロとパウロを描いた絵柄の周囲に教皇の名前を記した赤インクの印章が使用されるようになったが、これ以後もヨハネ23世第2バチカン公会議を招集するために発行した勅書のように、重要なものには鉛印章が使用された。勅書の原本は、パピルスより丈夫な羊皮紙が使用されるようになった11世紀以降のものが多数現存している。819年以前のもので完全な形で残っているものはない。鉛の印章自体は6世紀のものが現存している。

勅書の内容

勅書の本文は、教皇の勅令そのものである。あらゆる内容が扱われ、法令、司教の任命、特免、破門、教憲、列聖、会議の招集に関することなどさまざまである。14世紀になって教皇書簡(または、「小勅書」)が使われるようになる以前は、バチカンから発せられる唯一の通信文形式が教皇勅書であった。書簡は教皇からの簡易伝達手段として利用され、認証には漁をするペトロの姿に教皇の名を記したロウ印章(現在は赤インク)が使用された。勅書と書簡の間に厳密な区別は過去も現在もないが、近年の書簡は回勅も含め、ほとんどが教皇書簡として発行されている。

関連項目

参考文献および外部リンク




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