KREVA TOUR 2006 愛・自分博〜国民的行事〜日本武道館
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『KREVA TOUR 2006 愛・自分博 〜国民的行事〜日本武道館』 | ||||
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KREVA の DVD | ||||
リリース | ||||
ジャンル | ヒップホップ | |||
時間 | ||||
レーベル | Knife Edge(ポニーキャニオン) | |||
チャート最高順位 | ||||
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KREVA 映像作品 年表 | ||||
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『KREVA TOUR 2006 愛・自分博〜国民的行事〜日本武道館』(クレバツアー2006あい・じぶんはく こくみんてきぎょうじ にっぽんぶどうかん)は、日本の ヒップホップソロアーティストKREVAが2006年9月8日にリリースした1作目の映像作品(DVD)である[1]。
概要
2006年2月1日に発売されたアルバム『愛・自分博』を携えて行われた全国7会場8公演のツアーである「KREVA TOUR 2006 愛・自分博〜国民的行事〜」の模様を収録したDVDである。
ツアーは、3月20日に名古屋、3月24日に札幌、3月31日と4月1日には、大阪、4月8日に仙台、4月13日に広島、4月15日に福岡、4月28日に東京でそれぞれ開催され、総勢2万人を動員した。
初回盤はスペシャルパッケージ仕様となっている。発売日はクレバの日(9月8日)である。
収録会場
主に日本武道館。この公演は日本人ソロラッパーとして初となる日本武道館でのライブとなった[2]。DISC2の<OFF SHOT>には名古屋(Zepp Nagoya)、大阪(なんばHatch)、仙台(Zepp Sendai)などの会場の様子が少し収録されている。
収録映像曲
DISC1
- H.A.P.P.Y.
- この前に開会式の様子が収録されている。
- 来賓として佐藤修ポニーキャニオン代表取締役会長、野村昌史エレメンツ代表取締役社長、KREVAの実の父親が紹介された。
- 国民的行事
- all day, all night,
- いいと思う
- 江戸川ロックオン feat. CUEZERO, WADA
- DAN DA DAN feat. CUEZERO
- トリートメント feat. DABO, CUEZERO
- DABOが登場。
- island life feat. SONOMI
- SONOMIが登場。
- 涙止まれよ feat. SONOMI
- ひとりじゃないのよ feat. SONOMI
- 雨天(SONOMI)
- SONOMIがソロで歌っている。
- RAP STAR
- 今夜はブギー・バック
- 小沢健二&スチャダラパーによる今夜はブギー・バックをカバーした。竹内朋康とマボロシ・バンド(竹内朋康 & The Laidbacks)が登場。
- ファンキーグラマラス feat. Mummy-D
- Mummy-Dが登場。
- 暗闇のナビゲイラ
- この前にKREVAがKICK THE CAN CREWの曲「LIFELINE」の自らのパートを歌う。
- It's for you
- スタート
- イッサイガッサイ
DISC2
- 〈ENCORE〉
- DO MO ARIGATOH
- SONOMI, WADA, CUEZERO, GREEN KIDZ, 天狗 A.K.A ロナウド落合, 竹内朋康, Mummy-D, 伊藤社長が登場しRAPを披露する。The Laidbacksも登場。
- 音色
- 竹内朋康 & The Laidbacksの演奏による。
- My Life
- DO MO ARIGATOH
- 〈OFF SHOT〉
- 地方編
- 武道館編
- 地方編
- 〈MULTI PLAY MODE〉
- 国民的行事
- スタート
脚注
出典
- ^ a b “KREVA/KREVA TOUR2006愛・自分博~国民的行事~日本武道館”. tower.jp. 2024年6月13日閲覧。
- ^ “9月8日はKREVAの日!シングルのリリースも決定”. BARKS (ジャパンミュージックネットワーク株式会社). (2006年9月8日) 2021年10月20日閲覧。
外部リンク
「KREVA TOUR 2006 愛・自分博〜国民的行事〜日本武道館」の例文・使い方・用例・文例
- 国会議員年金は、2006年4月1日をもって廃止された。
- フランスの初回雇用契約は2006年4月10日に撤回された。
- 時短促進法は2006年3月末に期限が切れた時限立法であった。
- 労働審判制度は、2006年に労働審判法によって導入されました。
- このメールは2006年に送った。
- あなたは2006年に長野に行きましたか。
- あなたは2006年に長野に行きませんでした。
- 2006年
- トルコとの試合終了後,トルシエ監督は,「日本の冒険は終わった。日本代表チームの監督を務めたことを誇りに思う。監督としてのこの4年間はすばらしいものだった。これから日本は,2006年W杯に向けて努力しなければならない。代表チームのダイナミックで野心的なプレイは世界に印象を与えたと思う。チームのメンバーそれぞれが,自分自身の能力に自信を持つべきだ。」と語った。
- ジーコ新監督とともに,日本は次の2006年ワールドカップに向けて活動を始めた。
- この試合は,2006年ワールドカップドイツ大会に向けての第一歩だった。
- 彼らの成績は,2006年のトリノ冬季五輪に望みを与えてくれる。
- 遺跡の範囲を判断する取り組みは,2006年まで続く予定だ。
- 日本が2006年ワールドカップの出場のチャンスを失えば,(テレビ)放送のスポンサーはおそらくサッカーに興味をなくすだろう。
- 2006年のトリノ五輪では, 1500メートル種目に出場し,金メダルを目指してその種目に集中したいと思っています。
- それらの対策は,2006年末までに実施される予定だ。
- 2006年末には,すべての外国人は,日本に入国する際に指紋採取や写真撮影されなくてはいけなくなる。
- その上,中国は,アジア1次予選で2006年ワールドカップから脱落した。
- 当初は,新札による旧札の入れ替えは,2006年11月に終わることになっていた。
- 入れ替えは,2006年春までに完了するだろうと考えられている。
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