インドラヴァルマン2世
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/24 09:48 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動| インドラヴァルマン2世 ឥន្ទ្រវរ្ម័នទី២ |
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| クメール王朝君主 | |
| 在位 | 1220年頃 - 1243年 |
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| 出生 | 不詳 |
| 死去 | 1243年 |
| 王朝 | アンコール朝 |
| 父親 | ジャヤーヴァルマン7世 |
| 母親 | インドラデーヴィー |
| 宗教 | 大乗仏教[1][2] |
インドラヴァルマン2世(クメール語: ឥន្ទ្រវរ្ម័នទី២, ラテン文字転写: Indravarman II, 生年不詳 - 1243年[3][4][5])は、クメール王朝の第22代[6][7]君主(在位:1220年頃[7][8] - 1243年[6][9])。
生涯
第21代君主[6]・ジャヤーヴァルマン7世[7]とその妃インドラデーヴィーの子。王子時代はラヴォ(現在のロッブリー県)の総督であった[3]ともされる。1220年頃、父王が死去したために即位した。ジャヤーヴァルマン7世の政策を引き継いで、先王が建立したいくつかの仏教寺院を拡張・完成させた。ジャヤーヴァルマン7世の代に浪費されて悪化した財政が祟って[10]、1220年[11]には1190年以来支配下に置いていた[8]チャンパ[12]のアンシャラージャ(ジャヤ・パラメーシュヴァラヴァルマン2世)[4]に、更には1238年[13]にはスコータイ王朝のバーンクラーンハーオ(シーインタラーティット)にそれぞれ独立を許した[14][15]ため、クメールの領土は縮小し[4]、勢力が大きく衰退した[7][8][12]と言われていた[10]。
一方で、2000年代に行われた発掘調査[16]の結果などから、インドラヴァルマン2世の治下においてもクメールはそれなりに繁栄していた[17]とも、インドラヴァルマン2世自身も実力と行動力を持っていたとも考えられている[15]。
脚注
出典
- ^ 石澤 2005, p. 275
- ^ 迫田 2015, p. 49, 「アンコール遺跡&シェムリアップ」
- ^ a b Cœdès 1968, p. 180
- ^ a b c Cœdès 1968, p. 181
- ^ 石澤 2005, p. 192
- ^ a b c 石澤 2002, p. 25
- ^ a b c d 迫田 2015, p. 84, 「カンボジア文化講座」
- ^ a b c “歴史”. DTACカンボジア観光情報局. 2013年4月21日閲覧。
- ^ 迫田 2015, p. 48, 「アンコール遺跡&シェムリアップ」
- ^ a b 石澤 2002, p. 12
- ^ Cœdès 1968, p. 171
- ^ a b コイ 2000, p. 62
- ^ “スコータイ — 日本アセアンセンター”. 2017年9月29日閲覧。
- ^ 石澤 2005, p. 193
- ^ a b 石澤 2002, p. 13
- ^ 石澤 2002, p. 4
- ^ 石澤 2002, pp. 12-14
参考文献
- George Cœdès (May 1, 1968). Walter F. Vella. ed. The Indianized States of South-East Asia. Susan Brown Cowing. trans. University of Hawaii Press. ISBN 978-0824803681.
- レイ・タン・コイ『東南アジア史』石澤良昭訳、白水社〈文庫クセジュ〉、2000年4月30日、増補新版。 ISBN 978-4560058268。
- 石澤良昭『アンコール・王たちの物語 碑文・発掘成果から読み解く』NHK出版〈NHKブックス〉、2005年7月30日。 ISBN 978-4140910344。
- 石澤良昭「アンコール王朝史の新局面」『東南アジア -歴史と文化-』第2002巻第31号、2002年、 3-26頁。
- 迫田龍、「アンコール遺跡&シェムリアップ」、上野光人編 『ララチッタ アンコールワット・ホーチミン』 JTBパブリッシング、2015年4月1日。 ISBN 978-4533104220。
- 迫田龍、「カンボジア文化講座」、大橋圭子編 『るるぶアンコールワット』 JTBパブリッシング、2015年9月30日。 ISBN 978-4533106668。
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「Indravarman II」の例文・使い方・用例・文例
- フェーズIとフェーズIIで許容副作用を伴い効果的であることが示される治療あるいは薬品の大規模な臨床試験
- 1228年から1229年までの十字軍は、病気になった神聖ローマ帝国皇帝フレディリックIIで導いて、法王によって破門されました
- 330,000人の連合軍隊が敵火の下で絶望的な退却において、北フランスの浜辺から避難しなければならなかった世界大戦IIの陸海空共同の避難(1940年)
- 腎臓にアンジオテンシンIIができるのを阻止し、動脈を弛緩してくれる抗高血圧薬
- アンジオテンシンIIへのさきがけであるアンジオテンシンの生理学的に不活発な形態
- 高血圧を治療するのに用いられるアンギオテンシンII抑制剤
- ASCII文字セットは最も一般的に用いられている文字セットである
- 王を補足したと考えられるI歴代志とII歴代志の旧約聖書の旧名
- ウルガタ聖書(IIエスドラス書を除いて)に含まれるが、ユダヤやプロテスタント版の聖書では省略される旧約聖書の14冊
- I歴代志、II歴代志、エズラ、およびネヘマイアからの編集から成る外典
- フレディリック神聖ローマ帝国皇帝IIを破門して、聖地に対して新しい十字軍を計画していた1245年の西方教会の協議会
- キャサリンIIの愛人であり、1762年に彼女が権力を握る支援を行ったロシアの役員で政治家
- 遺伝的に第VIII因子が欠乏するために生じる血友病
- アンギオテンシンIをアンギオテンシンIIに変えるタンパク質分解酵素
- 血液凝固において、トロンビンは第XIII因子をフィブリンが分解しにくい凝血塊の形成を引き起こす(フィブリナーゼ)活性型に触媒する
- パーシングIIというミサイル
- SALTII条約という2国間軍縮条約
- SALTII条約という2国間軍縮条約の内容
- 宇宙開発事業団と航空宇宙技術研究所は,2004年にH-IIAロケットでHOPE-Xを打ち上げる計画をしていた。
- 72歳の映画監督と彼の息子は,9月25日,新作映画「バトル・ロワイアルII」の製作を発表するため,記者会見を行った。
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