80点+α主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:27 UTC 版)
1961年にトヨタが発売した初代パブリカは、ラジオ・ヒーター・リクライニングシートなどの快適装備を一切排除して、安価さにおいては100点といえる水準を実現した。しかし販売は不振で、原因を分析したところ「少々高くてもいいから良い車を買いたい」という、高度経済成長の中の消費者心理の変化があることが分かった。そこでパブリカに快適装備を追加して高価にしたデラックスモデルを発売した結果、販売台数を大幅に伸ばすことに成功した。 この時の教訓から『80+α点主義』という思想が生まれる。これは初代パブリカ及び初代カローラの開発主査である長谷川龍雄が打ち出した、次の考え方である。 幅広くファミリーカーとして使っていただくためには、性能、居住性、フィーリングなどで満点に近い評価であっても、価格や維持費の面でお客様の手が届かないものでは大衆車としては失格である。また、安くするために品質を落としてはならず、あらゆる面で80点以上の合格点でなければならない。その一方で、全てが80点では魅力のないクルマになってしまう。これだけはほかには負けないというものがいくつかあって、初めてお客様の心をとらえることができる。 — 長谷川龍雄、『カローラの哲学―カローラの生みの親』 初代カローラは快適性を80点にまで高めた上で「+α」をスポーツ性にすることに決まり、ライバルの日産・サニーを上回る「100ccの余裕」と、当時珍しかったマクファーソン・ストラット式サスペンションの前輪懸架、丸型メーター、フロア式4速シフトなどの先進技術が多数盛り込まれた。この結果カローラは国民車としての地位を確立し、後のトヨタ車やライバル会社にも大きな影響を与えた。 トヨタはトータルバランスと信頼性の高さで、日本での市場5割という大躍進を遂げた一方、この欠点を優先して潰していく思想は、やがて「+α」を無視した『80点主義』の名で独り歩きし、無難なクルマ作りに徹したため、コアな車好きたちから、レクサスも含めて「トヨタは退屈」「個性がない」「自動車を白物家電化させた」という非難を生む原因ともなった。乗用車の走行性能では他社に劣り、「目に見えないところで手を抜く」と批判 などの批判を受けていたことから、豊田章男が主導になって『退屈イメージ』からの脱却を図った。
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