30歳からの映画女優
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 17:33 UTC 版)
1928年(昭和3年)、京都の日活太秦撮影所に入社、時代劇部に所属する。同年10月19日に公開された『清水次郎長 第二篇 血笑篇』(監督辻吉郎)に出演して、満30歳で映画界にデビューしている。同年11月1日に公開された『斑蜘蛛』(監督清瀬英次郎)では、女賊夜桜お蝶を演じて、主演している。当時、日活と配給提携をしていた片岡千恵蔵プロダクションの作品にも出演しており、1930年(昭和5年)8月28日に公開された『恋車 前篇』(監督渡辺邦男)では、淀君を演じた。なかでも1931年(昭和6年)3月13日に公開された、長谷川伸原作の『瞼の母』(監督稲垣浩)は、片岡の「番場の忠太郎」に対する「水熊のお濱」(おはま)を演じ、「一本刀の渡世人に絡む義理人情の世界を一沫のリリシズムを捉えて描破した」作品であると、日活がその社史に語っている。この役は、常盤の当たり役となり、1936年(昭和11年)にもリメイクされた際にも、同じく片岡とともに主演した。 1937年(昭和12年)、満39歳のときにトーキー専用の製作会社であるゼーオースタヂオに移籍、同年2月4日に公開された『新しき土』(監督アーノルド・ファンク、伊丹万作)に出演、小杉勇演じる「輝男」の母親役を演じた。同年9月10日に同社が合併して東宝映画が設立されたのちも、ゼーオースタヂオ改め東宝映画京都撮影所に所属した。1939年(昭和14年)には、日活太秦撮影所改め日活京都撮影所に復帰した。1942年(昭和17年)1月10日、戦時統制により、日活の製作部門が新興キネマ等と合併して大映が設立されると、常盤は継続入社して、大映京都撮影所に所属した。第二次世界大戦終結後も、同撮影所に所属し、満53歳となった1951年(昭和26年)2月15日に公開された『阿修羅判官』(監督森一生)、大映東京撮影所に出張して製作され、同年2月24日に公開された『鉄の爪』(監督安達伸生)に出演したのを最後に、引退している。 1959年(昭和34年)9月、病気によって死去した。満61歳没。夫の小川は、戦後も妻の常盤よりも長く、1954年(昭和29年)まで映画出演を続けたが、晩年は、歯科医の資格を取得し、京都府京都市右京区太秦多藪町にあった大映京都撮影所の同町内で、歯科医院を開業していたという。
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