30歳で現役死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 02:38 UTC 版)
1998年3月に入ると血圧が急降下するなど病状が悪化し、さらに全身の痛みから気が動転し、ベッドの傍にあるものを掴んでは投げるを繰り返していた。3月7日には意識不明の重体に陥る。そして、地元の大阪で開催された同年3月場所は幕下55枚目まで下がっていたが、3月場所3日目だった3月10日11時50分、剣晃は母と兄が見守る中で、汎血球減少症による肺出血のため、大阪狭山市の近畿大学付属病院で死去した。30歳の若さだった。生涯独身だった。 剣晃の生涯最期の言葉は「母ちゃん、もう眠りたい…」だったという。剣晃が亡くなった数分後に病室へ駆け付けた高田川親方は「必ず治るものだと信じていたから、今は思い出なんて振り返れない…」と号泣。その余りにも早過ぎる病死に、現役力士や相撲関係者らにも大きな衝撃を受けたという。葬儀の席では親族や部屋の弟弟子達が涙を流し続け、告別式で最後の挨拶時に高田川親方は、剣晃の遺影に向かって「剣晃!俺はまだ死んだとは思ってない!!」と大声で泣き叫んでいた。奇病のため病理解剖による研究の進歩が期待され、担当医も病理解剖を申し出たが「力士だから綺麗な体をお客さんに見せたいので、メスを入れたくない」という生前の本人の遺志によって行われなかった。 剣晃に対して『角界のならず者』というあだ名を付けたデーモン閣下は、死の1年前に相撲雑誌で直接対談した事を懐古しながら、剣晃の訃報に関し「あの頃から既に体調が悪くしんどそうだったが、事前に点滴を打って登場し、脂汗をかきながらも2時間近くの取材に笑顔で応じてくれた。まさかこんなに速く逝ってしまうとは…『残念』という以外、言葉が見つからない」と追悼のコメントを述べていた。
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