3回目の脱出の試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/24 15:54 UTC 版)
4月28日夜、第9軍はハルベから別の脱出を試み、なんとかソビエト赤軍第50親衛狙撃師団を突破して、ハルベから西方への通路を確保したが、彼らは非常に大きい代償を払うことになった。28日から29日にかけてソビエト赤軍はこれに対処するためにハルベ周辺のドイツ軍側面への戦力を強化、カチューシャ及び砲兵を集中させ、南方から攻撃を仕掛け第9軍の足止するために森林の木々を切り倒して道を封鎖した。ソ連砲兵の攻撃は森の木々を粉砕し、その破片は兵士を負傷させ、負傷した兵士はそのまま放置されるしかなかった。しかし、唯一、通行可能な林道を発見(後世に死の林道と名づけられる)、ありとあらゆる犠牲を払って第9軍は西へ脱出しようとあがいた。ドイツ軍は広範囲にわたってちらばり、部隊最後尾はシュトルコウ(英語版)で防戦をしていたが、前衛はベーリッツで第12軍と接触に成功した。この時、ハルベ周辺にはまだ大勢の部隊が存在し、ソビエト赤軍はこれを分断し、各個撃破しようとしていたので、第9軍は可能な限り速やかにこの経路を使用して第12軍との合流を目指した。ハルベで第9軍は大混乱しており、指揮系統がなんとか保たれている部隊には命令が出されていたが、命令が届かない部隊は混乱の極致にあり、その中で国防軍と武装SSの間に不信感が広がり、お互いに攻撃しあうなどの悲劇が起こっている。 次の数日間、戦闘はますます混乱を見せたが、ドイツ軍はソ連赤軍に攻撃を仕掛け、時折、押し戻した。しかし、ソビエト赤軍は砲兵と航空機でも反撃し、ドイツ軍側面の損失は非常に甚大で、約25,000人の第9軍将兵が南北に走る国道2号線の東側面を通り、ベーリッツで第12軍に接触、合流した。しかし、これは戦闘の終了は意味したが、脱出の終わりを意味するものではなかった。第12軍と第9軍の残存兵は、アメリカ軍に降伏するために、戦線を後退させエルベ川方向へ西に向かって戦闘を継続した。しかし、エルベ川でアメリカ軍第9軍が彼らを押しとどめたため、第9軍は突破はしたが、大部分はルッケンヴァルデ西方、第12軍からほんの10km離れたところで第4親衛戦車軍の北西方面からの攻撃で再度、囲まれていた。
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