205系の投入以後とは? わかりやすく解説

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205系の投入以後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 01:25 UTC 版)

京阪神緩行線」の記事における「205系の投入以後」の解説

1986年8月に、関西初の205系スカイブルーの帯を締めて明石電車区に4本配属され103系阪和線武蔵野線転属させた。11月1日国鉄最後ダイヤ改正201系組んで各駅停車増発行った新快速外側線(列車線)を走るようになったことから、余裕のできた内側線の増発分として、吹田駅 - 甲子園口駅間の区間運行運転区間高槻駅 - 神戸駅間に延長し、この区間1時間運行本数が8本に増発された。また、芦屋駅須磨駅での新快速通過待ちなくなったことから所要時間短縮され、現在に至るダイヤ基礎形成した1987年3月31日国鉄分割民営化されて翌4月1日からJR各社スタートしたが、この時期動きとしては、1987年から1988年にかけて103系冷房改造を2本実施した程度である。また、1988年3月13日には大阪高槻行き終電0時半に繰り下げたほか、平日の夕方時間帯運行サイクル等間隔変更し、この時間帯残っていた甲子園口駅折り返し列車廃止したまた、日曜祝日ダイヤを「休日ダイヤ」として分離し適用日には加古川駅発着日中夕方縮小された。 1989年以降103系動きが慌しくなってくる。残留していた非冷房車編成全編成が1969年投入最古参車)のうち、3本を4両化して福知山線投入して同線の輸送力増強実施、1本を冷房改造のうえ4両編成+3両編成分割編成改造して淀川転出させた。保留車として残存した非冷房中間車を除くと、この時点編成単位残った非冷房車は1編成だけとなり、実質的に冷房化100%となった1991年3月16日ダイヤ改正では、日中時間帯快速西明石駅 - 加古川駅間で1時間4本に増発され、各駅停車加古川駅乗り入れは朝ラッシュ時の2本のみに削減された。同年秋に片町線学研都市線)の207系量産車投入に伴う103系捻出車が転入、非冷房編成置き換えて各駅停車車両冷房化率は名実ともに100%となった103系淘汰はさらに続き1994年3月には207系1000番台基本6両編成+付属2両編成8両編成14112両を高槻電車区現在の吹田工場高槻派出所)に投入103系を完全に置き換えて1969年以来25年長きわたった1983年201系投入後脇役転じたが)各駅停車としての103系の運転は終了した207系投入によって、各駅停車初の8両運行始まったほか、6両運行復活し、6両の場合には駅の時刻表丸数字掲示されていた。同年9月4日ダイヤ改正では、週休2日制拡大により、各駅停車でも土曜平日ダイヤから休日ダイヤ移行され、土曜休日ダイヤとして統合された。

※この「205系の投入以後」の解説は、「京阪神緩行線」の解説の一部です。
「205系の投入以後」を含む「京阪神緩行線」の記事については、「京阪神緩行線」の概要を参照ください。

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