2006 ワールド・ベースボール・クラシック ドミニカ共和国代表
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2006 ワールド・ベースボール・クラシック ドミニカ共和国代表(2006 - ドミニカきょうわこくだいひょう)は、2006年に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシックに出場した、野球のドミニカ共和国代表チームである。マニー・アクタ(ニューヨーク・メッツの三塁ベースコーチ=当時)が監督として指揮を執った。
経緯
選手をメジャーリーガーで固め、優勝候補と目されたが、準決勝でキューバに敗れベスト4となった。
アメリカ合衆国とドミニカ共和国の二重国籍であるアレックス・ロドリゲスが同国代表を辞退後、アメリカ合衆国代表入りした事で物議を醸した。
最終成績
ベスト4(大会通算成績:5勝2敗)
第1ラウンド
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D組(アメリカBラウンド)
- 3月7日ベネズエラ戦
-
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 H E ドミニカ共和国(1勝0敗)
0 2 0 0 4 0 0 0 5 11 ベネズエラ(0勝1敗)
0 0 0 1 2 1 1 0 0 5
- 3月9日イタリア戦
-
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 H E イタリア(1勝2敗)
1 0 2 0 0 0 0 0 0 3 ドミニカ共和国(2勝0敗)
2 0 2 0 3 0 1 0 × 8
第2ラウンド
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準決勝
キューバに敗れ準決勝敗退。
-
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 H E キューバ(決勝進出)
0 0 0 0 0 0 3 0 0 3 12 3 ドミニカ共和国(準決勝敗退)
0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 8 1
代表選手
以下が代表選手であり[1]、所属は同大会期間中のものとする。
背番号 | 氏名 | 英語表記 | 所属球団 | 投 | 打 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
監督 | 11 | マニー・アクタ | Manny Acta | ||||
投手 | 16 | サロモン・トーレス | Salomon Torres | ![]() |
右 | 右 | |
33 | ホルヘ・ソーサ | Jorge Sosa | ![]() |
右 | 右 | ||
35 | ダニエル・カブレラ | Daniel Cabrera | ![]() |
右 | 右 | ||
38 | ダマソ・マルテ | Damaso Marte | ![]() |
左 | 左 | ||
40 | バートロ・コローン | Bartolo Colon | ![]() |
右 | 右 | ||
41 | フランシスコ・リリアーノ | Francisco Liriano | ![]() |
左 | 左 | ||
43 | ミゲル・バティスタ | Miguel Batista | ![]() |
右 | 右 | ||
47 | ロビンソン・テヘダ | Robinson Tejeda | ![]() |
右 | 右 | ||
50 | デュアネル・サンチェス | Duaner Sanchez | ![]() |
右 | 右 | ||
51 | ユーデ・ブリトー | Eude Brito | ![]() |
左 | 左 | ||
53 | フリアン・タバレス | Julian Tavarez | ![]() |
右 | 左 | ||
54 | オダリス・ペレス | Odalis Perez | ![]() |
左 | 左 | ||
56 | フェルナンド・ロドニー | Fernando Rodney | ![]() |
右 | 右 | ||
捕手 | 15 | フアン・ブリトー | Juan Brito | ![]() |
右 | 右 | |
22 | アルベルト・カスティーヨ | Alberto Castillo | ![]() |
右 | 右 | ||
31 | ロニー・ポーリーノ | Ronny Paulino | ![]() |
右 | 右 | ||
内野手 | 2 | プラシド・ポランコ | Placido Polanco | ![]() |
右 | 右 | |
5 | アルバート・プホルス | Albert Pujols | ![]() |
右 | 右 | ||
7 | ペドロ・フェリス | Pedro Feliz | ![]() |
右 | 右 | ||
9 | ホセ・レイエス | Jose Reyes | ![]() |
右 | 両 | ||
10 | ミゲル・テハダ | Miguel Tejada | ![]() |
右 | 右 | ||
12 | アルフォンソ・ソリアーノ | Alfonso Soriano | ![]() |
右 | 右 | ||
20 | ロニー・ベリアード | Ronnie Belliard | ![]() |
右 | 右 | ||
29 | エイドリアン・ベルトレ | Adrian Beltre | ![]() |
右 | 右 | ||
34 | デビッド・オルティーズ | David Ortiz | ![]() |
左 | 左 | ||
外野手 | 4 | ウィリー・タベラス | Willy Taveras | ![]() |
右 | 右 | |
8 | ルイス・ポロニア | Luis Polonia | ![]() |
左 | 左 | ||
18 | モイゼス・アルー | Moises Alou | ![]() |
右 | 右 | ||
19 | フアン・エンカーナシオン | Juan Encarnacion | ![]() |
右 | 右 | ||
26 | ウィリー・モー・ペーニャ | Wily Mo Pena | ![]() |
右 | 右 |
脚注
- ^ 2006 Tournament Roster The official site of World Baseball Classic 2016年3月7日閲覧 [リンク切れ]
関連項目
「2006 ワールド・ベースボール・クラシック・ドミニカ共和国代表」の例文・使い方・用例・文例
- 国会議員年金は、2006年4月1日をもって廃止された。
- フランスの初回雇用契約は2006年4月10日に撤回された。
- 時短促進法は2006年3月末に期限が切れた時限立法であった。
- 労働審判制度は、2006年に労働審判法によって導入されました。
- このメールは2006年に送った。
- あなたは2006年に長野に行きましたか。
- あなたは2006年に長野に行きませんでした。
- 2006年
- トルコとの試合終了後,トルシエ監督は,「日本の冒険は終わった。日本代表チームの監督を務めたことを誇りに思う。監督としてのこの4年間はすばらしいものだった。これから日本は,2006年W杯に向けて努力しなければならない。代表チームのダイナミックで野心的なプレイは世界に印象を与えたと思う。チームのメンバーそれぞれが,自分自身の能力に自信を持つべきだ。」と語った。
- ジーコ新監督とともに,日本は次の2006年ワールドカップに向けて活動を始めた。
- この試合は,2006年ワールドカップドイツ大会に向けての第一歩だった。
- 彼らの成績は,2006年のトリノ冬季五輪に望みを与えてくれる。
- 遺跡の範囲を判断する取り組みは,2006年まで続く予定だ。
- 日本が2006年ワールドカップの出場のチャンスを失えば,(テレビ)放送のスポンサーはおそらくサッカーに興味をなくすだろう。
- 2006年のトリノ五輪では, 1500メートル種目に出場し,金メダルを目指してその種目に集中したいと思っています。
- それらの対策は,2006年末までに実施される予定だ。
- 2006年末には,すべての外国人は,日本に入国する際に指紋採取や写真撮影されなくてはいけなくなる。
- その上,中国は,アジア1次予選で2006年ワールドカップから脱落した。
- 当初は,新札による旧札の入れ替えは,2006年11月に終わることになっていた。
- 入れ替えは,2006年春までに完了するだろうと考えられている。
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