2006 ワールド・ベースボール・クラシック オランダ代表
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2006 ワールド・ベースボール・クラシック オランダ代表(2006 - オランダだいひょう)は、2006年に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシックに出場した、野球のオランダ代表チームである。
経緯
オランダ本土出身者に加え、オランダ領アンティルやアルバ出身の選手がチームに入った。オランダの国内リーグであるホーフトクラッセの選手を中心にメジャーリーグベースボールやマイナーリーグ、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル(メキシコ夏季リーグ)など様々なリーグの選手で構成されている。メジャーリーガーを多数揃えたプエルトリコや、五輪で3度の金メダルを獲得した「アマチュア最強軍団」キューバに敗れ第1ラウンドで姿を消した。
監督はロバート・エーンホーン。最終戦でシャイロン・マルティスが大会史上初のノーヒットノーランを達成した。
最終成績
第1ラウンド敗退(大会通算成績:1勝2敗)
第1ラウンド
POOL C で1勝2敗。3位となり敗退。
- 3月8日:プエルトリコ戦(ヒラム・ビソーン・スタジアム / 3時間29分 / 15,570人)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | H | E | |
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1 | 0 | 1 | 1 | 0 | 2 | 2 | 0 | 1 | 8 | 14 | 4 |
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0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 5 | 1 |
- 勝利:オーランド・ロマン(1勝)
- 敗戦:ジェイアー・ジャージェンス(1敗)
- 5回裏に一旦は同点に追いついたが、直後にホセ・バレンティンの犠飛などで2点を勝ち越され、その後も7回と9回に失点。3-8で初戦を落とした。
- 3月9日:キューバ戦(ヒラム・ビソーン・スタジアム / 3時間19分 / 7,657人)
- 初回にユリエスキ・グリエルの適時二塁打などで2点の先制を許すと、4回と7回にはそれぞれ4失点。大敗を喫し、1戦を残して第1ラウンド敗退が決まった。
- 3月10日:パナマ戦(ヒラム・ビソーン・スタジアム / 2時間18分 / 6,337人)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | H | E | |
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5 | 0 | 1 | 1 | 3 | 0 | 0 | - | - | 10 | 17 | 1 |
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0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | 3 |
- 勝利:シャイロン・マルティス(1勝)
- 敗戦:ミゲル・ゴメス(1敗)
- 18歳のシャイロン・マルティスが大会史上初のノーヒットノーランを達成。第1ラウンドの球数制限65球ちょうどで7回を抑えると、打線が10点を奪いコールドゲームになるという幸運もあり、快挙を達成した。
代表選手
以下が代表選手であり、所属は同大会期間中のものとする。
ポジション | 背番号 | 氏名 | 所属球団 | 投 | 打 | 備考 |
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監督 | ロバート・エーンホーン | |||||
コーチ | ボブ・ウェルチ | |||||
投手 | 3 | ロビン・ファンドーンスピーク | ![]() |
右 | 右 | |
10 | ケニー・バーケンボッシュ | ![]() |
右 | 右 | ||
13 | ミヒール・ファンカンペン | ![]() |
右 | 右 | ||
14 | デーブ・ドライハー | ![]() |
右 | 右 | ||
16 | カルビン・マドゥロ | ![]() |
右 | 右 | ||
19 | ロブ・コルデマンス | ![]() |
右 | 右 | ||
31 | アレクサンダー・スミット | ![]() |
左 | 左 | ||
34 | ニック・ストイフバーゲン | ![]() |
右 | 右 | ||
36 | ディエゴマー・マークウェル | ![]() |
左 | 左 | ||
39 | シャイロン・マルティス | ![]() |
右 | 右 | ||
40 | グレゴリー・グスティナ | ![]() |
左 | 左 | ||
45 | ジェイアー・ジャージェンス | ![]() |
右 | 右 | ||
47 | デビッド・バーグマン | ![]() |
右 | 右 | ||
捕手 | 15 | マイケル・ベナー | ![]() |
右 | 右 | |
24 | シドニー・デヨング | ![]() |
右 | 右 | ||
33 | カイロン・イセニア | ![]() |
右 | 右 | ||
内野手 | 1 | ユレンデル・デキャスター | ![]() |
右 | 右 | |
4 | ヘインリー・スタティア | ![]() |
右 | 両 | ||
8 | マイケル・ダースマ | ![]() |
右 | 右 | ||
12 | シャーノル・アドリアーナ | ![]() |
右 | 右 | ||
17 | クルト・スミス | ![]() |
右 | 右 | ||
26 | ペルシー・イセニア | ![]() |
右 | 右 | ||
30 | ライリー・レヒト | ![]() |
右 | 右 | ||
35 | ランドール・サイモン | ![]() |
左 | 左 | ||
外野手 | 7 | ハービー・モンテ | ![]() |
左 | 左 | |
18 | ダーク・ファンクルースター | ![]() |
左 | 左 | ||
21 | ジーン・キングセール | ![]() |
右 | 右 | ||
23 | ジョニー・バレンティナ | ![]() |
右 | 右 | ||
25 | アンドリュー・ジョーンズ | ![]() |
右 | 右 | ||
27 | ダニー・ロンブリー | ![]() |
右 | 右 |
関連項目
外部リンク
「2006 ワールド・ベースボール・クラシック・オランダ代表」の例文・使い方・用例・文例
- 国会議員年金は、2006年4月1日をもって廃止された。
- フランスの初回雇用契約は2006年4月10日に撤回された。
- 時短促進法は2006年3月末に期限が切れた時限立法であった。
- 労働審判制度は、2006年に労働審判法によって導入されました。
- このメールは2006年に送った。
- あなたは2006年に長野に行きましたか。
- あなたは2006年に長野に行きませんでした。
- 2006年
- トルコとの試合終了後,トルシエ監督は,「日本の冒険は終わった。日本代表チームの監督を務めたことを誇りに思う。監督としてのこの4年間はすばらしいものだった。これから日本は,2006年W杯に向けて努力しなければならない。代表チームのダイナミックで野心的なプレイは世界に印象を与えたと思う。チームのメンバーそれぞれが,自分自身の能力に自信を持つべきだ。」と語った。
- ジーコ新監督とともに,日本は次の2006年ワールドカップに向けて活動を始めた。
- この試合は,2006年ワールドカップドイツ大会に向けての第一歩だった。
- 彼らの成績は,2006年のトリノ冬季五輪に望みを与えてくれる。
- 遺跡の範囲を判断する取り組みは,2006年まで続く予定だ。
- 日本が2006年ワールドカップの出場のチャンスを失えば,(テレビ)放送のスポンサーはおそらくサッカーに興味をなくすだろう。
- 2006年のトリノ五輪では, 1500メートル種目に出場し,金メダルを目指してその種目に集中したいと思っています。
- それらの対策は,2006年末までに実施される予定だ。
- 2006年末には,すべての外国人は,日本に入国する際に指紋採取や写真撮影されなくてはいけなくなる。
- その上,中国は,アジア1次予選で2006年ワールドカップから脱落した。
- 当初は,新札による旧札の入れ替えは,2006年11月に終わることになっていた。
- 入れ替えは,2006年春までに完了するだろうと考えられている。
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