2002年10月 - 2007年3月
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「スーパーモーニング」の記事における「2002年10月 - 2007年3月」の解説
2002年10月に大幅リニューアルを実施。テレビ朝日アナウンサーの渡辺宜嗣に『ザ・スクープ』の鳥越俊太郎という取材歴の長い2人に、当時テレビ朝日アナウンサーの徳永有美を加え、番組初の総合司会3人体制を組む。渡辺は1991年4月1日から1993年4月2日までの2年間、『モーニングショー』の最後の総合司会(1993年4月に本番組に衣替えしたため)を務めてから9年半ぶりの同枠復帰。徳永は出演していた『やじうまワイド』が3ヶ月前に終了(降板)したばかり。さらに、「ニュースの職人」を自認する鳥越は、『ザ・スクープ』終了後の活動の場を求めており、ニュース路線を強める番組側との思惑が一致した形での出演となった。サブタイトルを「あれこれニュースショー」とし、「ニュースに貴賎なし」をスローガンに掲げて種々雑多なニュースを公平に扱うという路線を強めた。この時に番組略称を『スパモニ』とした。 これまでのワイドショー番組にはなかったような視聴者参加企画も実施した。2006年4月のリニューアルまで、オープニングは視聴者からのリクエストや番組側がその日に放送する内容に合った曲(洋楽・邦楽問わず)を「きょうの名曲」と題して放送していた(深刻なニュース・災害・事件が起こった日などは休止し、番組独自の音楽に差し替えられた。このOP放送中の12月24日になると、大抵山下達郎の『クリスマス・イブ』を流していた)。また、これまでの曜日別コーナーを廃止、放送終了後にインターネット投票で視聴者からの評価を訊くサバイバル企画「スパモニ企画」を放送した。リニューアル初期には番組中に留守電やFAX、メールで寄せられた意見や感想、質問や苦情・非難などを番組のラストに紹介した。 2003年4月、徳永がウッチャンナンチャンの内村光良と不倫(2人は2005年に結婚)をしていたことが発覚し、当時のテレビ朝日社長であった広瀬道貞も、4月22日に行われた定例社長会見で徳永に対する処分を示唆する発言を行った。徳永はワイドショー担当者として相応しくないとして4月25日放送分で降板となり、徳永の降板会見は飛び乗り局を配慮して8:50頃に放送された。 当時のテレビ朝日アナウンス室には適任者がいなかったため、女性総合司会が2003年4月28日から2ヶ月間空席となる。テレビ朝日は、渡辺のパートナーを準キー局の朝日放送(現:朝日放送テレビ)に求め、2003年6月末から当時同局アナウンサーの赤江珠緒が女性総合司会に就任する。当初契約を大幅に延長し、2006年4月のリニューアルまで司会を務めた。しかしながら、赤江降板時の視聴率はおよそ5%で、同時間帯横並び最下位であった。 2006年4月3日、テレビ朝日の再編に伴って放送開始が30分繰り上がり、7:30開始となる。同時に「あれこれニュースショー」というサブタイトルを廃し、渡辺のパートナーが赤江からテレビ朝日アナウンサーの野村真季に交代した。同時に、「きょうの名曲」はエンディングでの放送となった。この再編で『やじうまプラス』(当時は4:25から放送)と連携を組み、『やじうまプラス』の出演者が本番組にも登場する「5時間半ぶち抜きニュースショー」とPR(テレビ朝日のみ)。同時に、祝日を除き全国で最後まで、長年に亘って9:30までの放送だった朝日放送が番組終了の9:55までの放送に踏み切った。これにより、9:30の飛び降り点がなくなった。 2006年10月にリニューアルした際に、7:30のオープニングで全国の天気(テレビ朝日系列局の所在地と釧路の25都市)と関東周辺の天気を流す様になる(天気予報を取り上げるのはしばらくなかった)。
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