20世紀の論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 05:34 UTC 版)
20世紀の文学理論には、散文と詩との対比にはあまり重点を置かず、単純に言語を用いて創造する者としての詩人と、詩人が創造するものとしての詩に焦点を合わせるものもあった。創造者としての詩人という基礎的な概念は珍しいものではなく、現代詩人の中には言葉による詩の創造と大工仕事のような他の媒体による創造活動との間に本質的に区別を置かない者もいる。さらには詩を定義しようという試み自体が見当違いであるとして異議を唱える者もあり、アーチボルド・マクリーシュは自身の逆説的な詩『詩論』(en:Ars Poetica) をこう結んでいる:「詩は意味してはならない/存在するのだ。」 詩の定義や他の文学ジャンルとの区別を巡る論争は詩の形式の役割を巡る議論と表裏一体である。20世紀前半に始まった詩の伝統的な形式と構造の拒絶は、詩の伝統的な定義や詩と散文の区別(特に散文詩と詩的散文のような例)の持つ目的や意味の疑問視と同時に進行した。数多くの現代詩人は、伝統的でない形式や、伝統的には散文と見做されるような形式を用いて書いたが、その作品には概して詩語や、韻律によらない手段で確立されたリズムやトーンが染み込んでいた。現代派の中にも詩の構造の衰退に対する形式主義的な反動があったが、こうした動きでは古い形式と構造の再生だけでなく、新しい形式構造と統合の開拓にも焦点が当てられていた。 さらに最近では、ポストモダニズムはマクリーシュのコンセプトを全面的に受け入れ、散文と詩との境界や、さらには詩の諸ジャンル間の境界にも文化的な遺物としての意味しかないと見做すようになっている。ポストモダニズムはモダニズムにおける詩人の創造的役割の強調からさらに進み、テクストの読者の役割を強調(解釈学)し、詩が読まれるところの複雑な文化的な網の目に光を当てた。今日では、世界中で、詩は他の文化や過去から形式や詩語を取り入れており、かつては例えば西洋の古典体系のような1つの伝統の中では理に適っていた定義と分類の試みにさらなる混乱を引き起こしている。
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