20世紀の衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 15:43 UTC 版)
1922年のアイルランド島分割(英語版)によって県は外国の領土になったため取引パターンが変わり鉄道に損害を与え、コルレイン駅行きのNCC路線を除くロンドンデリーを起終点とする路線ごとに国境標識を設置せざるを得なかった。L&LSRもペニーバーンとブリッジ・エンド間で、CDRJCはストラバーンをちょうど越えたあたりで、GNR線はロンドンデリーとストラバーンの間を2度も国境をまたぐようになった。また、税関検査での停車で列車の遅れが大きくなり、時間管理で揉めるようになっていった。 数年後、税関に関する二国間協定が結ばれ、ロンドンデリーを起終点とするGNRの列車はフォイル川西岸の駅への定期便で無い限を検査なしでアイルランド自由国を通過できるようになり、全路線上の荷物も北アイルランドの税関倉庫[要リンク修正]の管理に入ること無くアイルランド自由国の異なる場所との間で輸送できるようになったが、税関検査でによる物流の遅延は続いていた。 1920年代、1930年代、そして第二次世界大戦後と鉄道は道路との競争激化に直面するようになり、1953年にL&LSRが、1954年にCDRJCが廃線した。アルスター交通局(英語版) (UTA)は1949年にNCCを、1958年にGNRの北アイルランドにある路線を買収した。さらにLPHCの路線も買収したが1962年に廃線となった。1963年に北アイルランド政府によって承認されたベンソン報告書に従ってUTAは1965年にGNRのロンドンデリー行きの路線を廃止した。 1965年以降ロンドンデリーに接続する路線はL&CRの路線のみとなった。故にロンドンデリーとベルファスト間の旅客輸送のみならず、CIÉによる貨物輸送も県向けにロンドンデリーを起終点して活用している。
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