1990~1991年のJSPC
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 07:23 UTC 版)
「トヨタ・90C-V」の記事における「1990~1991年のJSPC」の解説
90C-Vのデビュー戦はJSPC開幕戦富士500kmでトムスの1台のみエントリー。サードは89C-Vを使用。デビュー戦をポールトゥウィンで優勝した。トヨタはこれまでもJSPCで勝利を挙げているが、すべて燃費的に楽な雨天レースでの勝利で、晴天でのレースの勝利はこれが初めてであった。ただしニッサンが15秒差で2位に入り、また5位までのマシンがトップと同一周回でゴールしており、ライバルたちとの差はわずかだった。 第2戦富士1000kmではトムスはR36Vを搭載した90C-Vと、R32V搭載の89C-VをTカーとして用意。サードもR32V搭載の90C-Vでエントリーした。トムスの90C-Vは雨となった予選で2番グリッドを獲得したが、マシンの信頼性を理由に決勝は予選で4位に入った89C-Vで出走することになった。サード90C-Vは予選5位に入った。決勝は大雨の中ペースカーが先導する中スタートし、数周後に中止が決定した。 ル・マン終了後最初のレースとなる第3戦富士500マイルにはトムス、サードともR36V搭載の90C-Vで出場。トムスは予選2位、サードは3位につけた。1位と4位にはワークスニッサンが入り、ル・マンでともに初入賞を果たしたトヨタ、ニッサンによる全面対決の様相を予選から早くも呈していた。決勝レースはスタートからトップに立ったトムス90C-Vと2台のワークスニッサンの首位争いから日産23号車が脱落。ニッサン24号車との一騎討ちとなった。トムス90C-Vはニッサンとの差をコントロールしながらトップのまま走行していたが、残り21周でエンジントラブルでリタイア。前半を抑えめのペースで走り、後半に勝負をかける予定だったサード90C-Vもマシントラブルで7位。トヨタはノーポイントに終わり1位と3位に入ったニッサンと明暗を分けた。 第4戦鈴鹿1000kmからトムスはこれまでの36号車に加えて37号車もエントリーしトヨタは3台体制となった。予選ではその37号車がポールポジションを獲得。36号車は3位、サードも6位とそれぞれ好位置につけた。しかし決勝は不振でニッサンに独走優勝を許し、2位のプライベートのノバ・ポルシェにも敗れ、37号車の3位が最上位となった。36号車は4位でゴールしたがレース後に車両寸法違反が発覚し失格処分となり、サードは9位に終わった。 第5戦菅生500kmも引き続き3台体制でエントリーしたが、サードが90C-Vの挙動変化のシビアさを嫌ってマシンを89C-Vに戻すことになった。予選は37号車が2戦連続でポールポジションを獲得し、36号車も3位に入った。決勝レースは第4戦鈴鹿以上の不振で、36号車はレース序盤こそ首位争いに加わったがその後燃費が苦しくなって後退し6位に終わり、ポールスタートの37号車は8位と入賞圏外となった。ニッサンはおろかル・マン後に3.2リットルエンジンを供給されるようになったプライベートポルシェにも後塵を拝する結果に終わった。トヨタ勢最上位は89C-Vにスイッチしたサードの5位だった。 最終戦富士1000kmではトムスも36号車を89C-Vに戻し、90C-Vは37号車の1台のみとなった。37号車は予選6位からスタートし、決勝は189周目にミッショントラブルでリタイアした。優勝は前戦から89C-Vを走らせるサードで、雨の中のレースで巧みなピット戦略での勝利だった。 1991年の開幕戦富士500kmにはトムス2台、サード1台の計3台の90C-Vがエントリー。タイヤは全車ブリヂストンを使用した。サードが予選2位でトヨタ勢最上位となり、トムス36号車が予選5位、37号車が4位につけた。レースではニッサン勢のペースについていけず、36号車が1周遅れの3位、37号車が6位、サードはエンジンにミスファイアが出て11位に終わった。 第2戦富士1000kmではトムス36号車とサードがニューマシン91C-Vを使用。90C-Vは37号車の1台のみとなった。予選5位からスタートし決勝でも5位に入った。 第3戦から37号車も91C-Vにマシンを変更したため、これが90C-Vの最後のレースとなった。
※この「1990~1991年のJSPC」の解説は、「トヨタ・90C-V」の解説の一部です。
「1990~1991年のJSPC」を含む「トヨタ・90C-V」の記事については、「トヨタ・90C-V」の概要を参照ください。
- 1990~1991年のJSPCのページへのリンク