1990~1992年(活動再開~デビュー)
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1990年 偶然立ち寄った爬虫類ショップで、食うや食わずの生活に憔悴していた姿を心配され、食事を始めあらゆる施しを受ける(実はこの頃メンバーの中では心中しようという話も起きていた)。更にTHE ALFEEの坂崎幸之助や風見しんごを紹介してもらうなど、音楽活動への人脈的支援を受け、デビューへ向けて急速な追い風となる。 事務所がTHINK(シンク)に決定。 1991年 バンド名を「INFIX」と改称。都内ライブサーキットを行う。観客がメンバーの数を下回る会場もあり、苦難の日が続くが、最終日の渋谷エッグマンが予想外の大入り。 レコード会社がバンダイビジュアルに決まる。 関東各地でライブサーキットを行う。観客数が確実に増加していった。東京・大阪・名古屋でライブを行う。観客は名古屋で200人を超え、大阪では400人近く動員した。千秋楽(12月10日)の会場は日本青年館で、デビュー前としては異例であり、更にXのTOSHIがゲスト出演するという豪華なものだった。1230人動員。 1992年3月21日、シングル「Romancing Journey」とアルバム『青春楽団』の同時リリースでデビュー。2ndシングルまで坂崎幸之助がプロデュースした。 続いて長友がJFN系全国ネット(Bライン)「FMナイトストリート~パジャマプレス」月曜日担当となる。この番組の前担当は哀川翔であり、番組を引き継いだ当初は、女性が大半を占めるinfixのファンと哀川のファンである元々の番組リスナーのあまりの違いに戸惑った旨のコメントを残している。同番組は同年3月のFM富士のJFN離脱以降首都圏での聴取が困難となっており、これがinfixの中央での認知が遅れる大きな原因となった。
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