1976年著作権法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 16:40 UTC 版)
「アメリカン・コミックスにおけるクリエイターの権利」の記事における「1976年著作権法」の解説
1978年1月、米国における現行法である1976年著作権法が施行された。この法改正はコミック出版社とクリエイターの力関係に大きな影響を与えた。改正前の1909年法の下では、クリエイターが出版社から委託を受けて作成した作品の著作権は委託者側に帰属するのが一般的であったが、新法はクリエイターを保護するため、特に合意がない限り受託者が著作権を保持すると定めた。コミック出版社は法改正を受けて、クリエイターたちとの契約時に職務著作だということを明文化して権利を放棄させるようになった。既存のキャラクターや作品についても、職務著作であることが明確化できない場合は係争が生じる可能性があった。有名無実化していた著作権の更新制度に代わって、著作権の移譲から一定期間が経過すると本来の著作者が一方的にそれを無効にできる権利(終了権)が定められたのである。ただし職務著作物はその対象外とされていた。実際、スーパーマンの作者ジェリー・シーゲルの相続人は2008年に終了権を行使してキャラクターの著作権を取り戻すことに成功した。これにより、刊行物が職務著作であるかどうかがいっそう焦点化することとなった。 マーベル社がクリエイターに権利を放棄させる取引材料の一つとしたのはオリジナル原稿だった。それまで多くのコミック出版社は、法的な根拠はあいまいながら原稿を自社の所有物とみなしていた(ただしその管理は粗雑で、原稿がコレクター市場に流出するのは日常茶飯事だった)。マーベル社はクリエイターに対し、過去の原稿を返却する代わりにそれらが職務著作であったと認めさせようとした。1960年代にマーベル社を象徴する主要キャラクターの多くを作り出した作画家ジャック・カービーは、わずか88枚のオリジナル原稿と引き換えに、将来にわたる全ての印税を放棄するよう迫られた。他の作画家と比べても不当な条件に憤ったカービーは、1978年にマーベルとの契約を更新せずDCに移った。カービーは1985年にマスコミに窮状を訴えた。ベストセラー作者のアラン・ムーアやフランク・ミラーをはじめ多くのトップクリエイターがカービーへの支持を表明し、ニール・アダムスも自身がマーベルで描いた原画の返却を求めた。争議は1987年にカービーらの勝利に終わり、マーベルはカービーが描いた1900枚をはじめとして原稿の返却を行った。DC社も同時期に原稿の返却を始めたが、マーベル社と異なり職務著作誓約と関係づけることはしなかった。これ以降、作画家がファンに原稿を売却して副収入を得ることが一般的になった。
※この「1976年著作権法」の解説は、「アメリカン・コミックスにおけるクリエイターの権利」の解説の一部です。
「1976年著作権法」を含む「アメリカン・コミックスにおけるクリエイターの権利」の記事については、「アメリカン・コミックスにおけるクリエイターの権利」の概要を参照ください。
- 1976年著作権法のページへのリンク