1952年フランスグランプリとは? わかりやすく解説

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1952年フランスグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 07:41 UTC 版)

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 1952年フランスグランプリ
レース詳細
1952年のF1世界選手権全8戦の第4戦
日程 1952年シーズン第4戦
決勝開催日 7月6日
正式名称 XXXIX Grand Prix de l'ACF
開催地 ルーアン・レゼサール
フランス
コース長 5.100
レース距離 392.700
決勝日天候
ポールポジション
ドライバー フェラーリ
タイム 2:14.8
ファステストラップ
ドライバー アルベルト・アスカリ フェラーリ
タイム 2:17.3 (28周目)
決勝順位
優勝 フェラーリ
2位 フェラーリ
3位 フェラーリ

1952年フランスグランプリ (XXXIX Grand Prix de l'ACF) は、1952年7月6日にルーアン・レゼサールで開催されたフォーミュラ2のレース。このレースは1952年のF1世界選手権の第4戦でもあったが、通常適用されるフォーミュラ1のレギュレーションではなく、1952年と1953年はフォーミュラ2のレギュレーションが適用された。

レース概要

前週末に行われたグランプリ・ド・ラ・マルヌで優勝したジャン・ベーラは、ルーアン・レゼサールで開催された最初のフランスグランプリにエキップ・ゴルディーニから出場した。ゴルディーニのレギュラードライバー、ロベール・マンヅォンとプリンス・ビラと共に3台体制を形成した。また、前戦にワークスカーをドライブしたジョニー・クレエに代わって、モーリス・トランティニアンがゴルディーニをドライブした。クレエは自身のチーム、エキュリー・ベルゲからシムカ・ゴルディーニで参加した。同チーム名は1950年1951年に使用されていた。フェラーリは前戦のフロントローを独占したアスカリファリーナタルッフィのラインナップを維持した。また、何名かのプライベイターがフェラーリで:スイス人ドライバールディ・フィッシャーとペーター・ヒルトがエキュリー・エスパドンから、イタリア人ドライバーのフランコ・コモッティとピエロ・カリーニがスクーデリア・マルゾットから、そしてルイ・ロジェが参戦した。HWMはランス・マックリンとピーター・コリンズを前戦に引き続いて起用し、加えてフランス人のイブ・ジロー・カバントゥも起用した。一方マセラティのワークスチームは引き続いて参戦しなかったが、彼らの新車A6GCMがスクーデリア・バンデランテスのフィリップ・エタンセランのドライブでデビューした。エンリコ・プラーテはマセラティの旧型、4CLT/48トゥーロ・デ・グラッフェンリートとハリー・シェルに託した。残るグリッドはアルタを走らせるピーター・ホワイトヘッドと、クーパー-ブリストルマイク・ホーソーンが並んだ。

アスカリが前戦に引き続いてポールポジションを獲得、チームメイトのファリーナとタルッフィが並び、フロントローを独占した。ゴルディーニの2台が2列目に並び、ベーラが4位、マンヅォンが5位となった。トランティニアンとビラは3列目に並び、次いでピーター・コリンズがHWM勢の最上位となった。マセラティ・A6GCMは期待外れの結果となり、フィリップ・エタンセランは7位となった。

決勝は再びフェラーリの天下となり、アルベルト・アスカリがスタートからフィニッシュまでファリーナを従え、2連勝を果たした。ゴルディーニのマンヅォンとベーラは好スタートを切ったにもかかわらず、第1ラップの終わりまでに3、4位を走行した。ピエロ・タルッフィは第4ラップに3位に回復し、その位置をフィニッシュまで保持し、表彰台はフェラーリ勢で独占された。マンヅォンは4位、タルッフィの1周遅れであった。一方チームメイトのモーリス・トランティニアンは5位に入り、ポイントを獲得した。HWMのピーター・コリンズはトランティニアンの2周遅れで6位、ジャン・ベーラは3ラップ目に最下位であったが、その後回復し7位でフィニッシュした。彼はクラッシュのためピットインしなければならず、レースは妥協の結果であった[1]

アスカリは優勝とファステストラップのポイントで、ランキング1位、2位のタルッフィに対して5ポイントの差を付けることとなった。ファリーナは2戦連続2位となり、ランキング3位に浮上、タルッフィに1ポイント差と迫った。インディ500勝者のトロイ・ラットマンは4ポイント差で4位となり、5位には1ポイント差でロベール・マンヅォンが続いた。

エントリーリスト

No ドライバー チーム コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
2 ロベール・マンヅォン エキップ・ゴルディーニ ゴルディーニ ゴルディーニ・T16 ゴルディーニ 20 2.0 L6 E
4 ジャン・ベーラ ゴルディーニ ゴルディーニ・T16 ゴルディーニ 20 2.0 L6 E
6 プリンス・ビラ ゴルディーニ ゴルディーニ・T16 ゴルディーニ 20 2.0 L6 E
8 アルベルト・アスカリ スクーデリア・フェラーリ フェラーリ フェラーリ・500 フェラーリ Type 500 2.0 L4 P
10 ニーノ・ファリーナ フェラーリ フェラーリ・500 フェラーリ Type 500 2.0 L4 P
12 ピエロ・タルッフィ1 フェラーリ フェラーリ・500 フェラーリ Type 500 2.0 L4 P
14 ルイ・ロジェ エキュリー・ロジェ フェラーリ フェラーリ・500 フェラーリ Type 500 2.0 L4 D
16 トゥーロ・デ・グラッフェンリート2 エンリコ・プラーテ マセラティ-プラーテ マセラティ・4CLT-50 プラーテ 2.0 L4 P
18 ハリー・シェル マセラティ-プラーテ マセラティ・4CLT-48 プラーテ 2.0 L4 P
20 ランス・マックリン HWモータース HWM-アルタ HWM 52 アルタ F2 2.0 L4 D
22 ピーター・コリンズ HWM-アルタ HWM 52 アルタ F2 2.0 L4 D
24 イブ・ジロー・カバントゥ HWM-アルタ HWM 52 アルタ F2 2.0 L4 D
26 ピーター・ホワイトヘッド ピーター・ホワイトヘッド アルタ Alta アルタ F2 2.0 L4 D
28 フィリップ・エタンセラン3 スクーデリア・バンデランテス マセラティ マセラティ・A6GCM マセラティ A6G 2.0 L6 P
30 チコ・ランディ4 マセラティ マセラティ・A6GCM マセラティ A6G 2.0 L6 P
32 ジョニー・クレエ エキュリー・ベルゲ シムカ・ゴルディーニ シムカ-ゴルディーニ・T15 ゴルディーニ 1500 1.5 L4 E
34 ルディ・フィッシャー5 エキュリー・エスパドン フェラーリ フェラーリ・212 フェラーリ 125 F1 1.5 V12 P
38 フランコ・コモッティ6 スクーデリア・マルゾット フェラーリ フェラーリ 166F2-50 フェラーリ 125 F1 1.5 V12 P
40 ピエロ・カリーニ6 フェラーリ フェラーリ 166F2-50 フェラーリ 125 F1 1.5 V12 P
42 マイク・ホーソーン6 アーチー・ブライド クーパー-ブリストル クーパー・T20 ブリストル BS1 2.0 L6 D
44 モーリス・トランティニアン エキップ・ゴルディーニ シムカ・ゴルディーニ シムカ-ゴルディーニ・T15 ゴルディーニ 1500 1.5 L4 E
Sources:[2][3]
^1 - ピエロ・タルッフィは予選と決勝の大半をフェラーリ12番車で走行した。ルイジ・ヴィッロレージも同車でエントリーしたが、負傷のため参加できなかった[4]
^2 - トゥーロ・デ・グラッフェンリートは予選と決勝26周をマセラティ16番車で走行した。自身の車でリタイアしたハリー・シェルがその後を引き継いで8周走行したが、再びリタイアした[5]
^3 - フィリップ・エタンセランは予選と決勝の大半をマセラティ28番車で走行した。アイテル・カントーニも同車でエントリーしたが、解雇されたため参加しなかった[4]
^4 - チコ・ランディはプラクティス前に撤退した[4]
^5 - ルディ・フィッシャーは予選と決勝37周をフェラーリ34番車で走行した。彼は当初フェラーリ・500をドライブしたが、プラクティス中にエンジントラブルが生じ、212をドライブすることとなった。ペーター・ヒルトがフィッシャーの後を引き継いだ[5]。ルドルフ・シェーラーが交代ドライバーとして指名されていたが、グランプリに参加することは無かった[6]
^6 - ヴィットリオ・マルゾット、セルジオ・シギノルフィ、レグ・パーネルは38番車、40番車、42番車の交代ドライバーとして指定されていた。いずれのドライバーもグランプリに参加しなかった[6]

結果

予選

順位 No ドライバー チーム タイム
1 8 アルベルト・アスカリ フェラーリ 2:14.8 -
2 10 ニーノ・ファリーナ フェラーリ 2:16.2 + 1.4
3 12 ピエロ・タルッフィ フェラーリ 2:17.1 + 2.3
4 4 ジャン・ベーラ ゴルディーニ 2:19.3 + 4.5
5 2 ロベール・マンヅォン ゴルディーニ 2:20.4 + 5.6
6 30 モーリス・トランティニアン シムカ・ゴルディーニ-ゴルディーニ 2:21.6 + 6.8
7 22 ピーター・コリンズ HWM-アルタ 2:21.9 + 7.1
8 6 プリンス・ビラ ゴルディーニ 2:23.0 + 8.2
9 14 ルイ・ロジェ フェラーリ 2:27.0 + 12.2
10 24 イブ・ジロー・カバントゥ HWM-アルタ 2:27.5 + 12.7
11 16 トゥーロ・デ・グラッフェンリート マセラティ 2:28.6 + 13.8
12 18 ハリー・シェル マセラティ 2:29.0 + 14.2
13 26 ピーター・ホワイトヘッド アルタ 2:29.5 + 14.7
14 20 ランス・マックリン HWM-アルタ 2:30.9 + 16.1
15 42 マイク・ホーソーン クーパー-ブリストル 2:32.0 + 17.2
16 28 フィリップ・エタンセラン マセラティ 2:33.7 + 18.9
17 36 ルディ・フィッシャー フェラーリ 2:34.6 + 19.8
18 38 フランコ・コモッティ フェラーリ 2:36.0 + 21.2
19 40 ピエロ・カリーニ フェラーリ 2:37.7 + 22.9
20 32 ジョニー・クレエ シムカ・ゴルディーニ-ゴルディーニ 2:39.6 + 24.8

決勝

順位 No ドライバー チーム 周回 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 8 アルベルト・アスカリ フェラーリ 77 3:00:00 1 9
2 10 ニーノ・ファリーナ フェラーリ 76 + 1 lap 2 6
3 12 ピエロ・タルッフィ フェラーリ 75 + 2 laps 3 4
4 2 ロベール・マンヅォン ゴルディーニ 74 + 3 laps 5 3
5 44 モーリス・トランティニアン シムカ-ゴルディーニ-ゴルディーニ 72 + 5 laps 6 2
6 22 ピーター・コリンズ HWM-アルタ 70 + 7 laps 8
7 4 ジャン・ベーラ ゴルディーニ 70 + 7 laps 4
8 28 フィリップ・エタンセラン マセラティ 70 + 7 laps 18
9 20 ランス・マックリン HWM-アルタ 70 + 7 laps 14
10 24 イブ・ジロー・カバントゥ HWM-アルタ 68 + 9 laps 10
11 34 ルディ・フィッシャー
ペーター・ヒルト
フェラーリ 66 + 11 laps 17
12 38 フランコ・コモッティ フェラーリ 63 + 14 laps 16
リタイア 6 プリンス・ビラ ゴルディーニ 56 アクセル 7
リタイア 42 マイク・ホーソーン クーパー-ブリストル 51 イグニッション 15
リタイア 16 トゥーロ・デ・グラッフェンリート
ハリー・シェル
マセラティ 34 ブレーキ 12
リタイア 26 ピーター・ホワイトヘッド アルタ 17 クラッチ 13
リタイア 14 ルイ・ロジェ フェラーリ 17 エンジン 9
リタイア 32 ジョニー・クレエ シムカ-ゴルディーニ-ゴルディーニ 15 エンジン 20
リタイア 18 ハリー・シェル マセラティ 7 ギアボックス 11
リタイア 40 ピエロ・カリーニ フェラーリ 2 エンジン 19

  • ポールポジション:アルベルト・アスカリ - 2:14.8
  • ファステストラップ:アルベルト・アスカリ - 2:17.3
  • 車両共有
    • #34:フィッシャー(33周)、ヒルト(33周)
    • #16:デ・グラッフェンリート(20周)、シェル(14周)

第4戦終了時点でのランキング

順位 ドライバー ポイント
1 1 アルベルト・アスカリ 18
1 2 ピエロ・タルッフィ 13
1 3 ニーノ・ファリーナ 12
1 4 トロイ・ラットマン 8
3 5 ロベール・マンヅォン 7
  • :トップ5のみ表示。ベスト4戦のみがカウントされる。

参照

  1. ^ French GP, 1952 Race Report”. Grandprix.com. 2013年2月2日閲覧。
  2. ^ 1952 French Grand Prix - Race Entries”. manipef1.com. 2012年5月9日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年1月1日閲覧。
  3. ^ 1952 ACF GP - Entry List”. chicanef1.com. 2014年1月1日閲覧。
  4. ^ a b c France 1952 - Result”. statsf1.com. 2014年1月11日閲覧。
  5. ^ a b French Grand Prix 1952 - Results”. ESPN F1. 2014年1月11日閲覧。
  6. ^ a b France 1952 - Race entrants”. statsf1.com. 2014年1月11日閲覧。


前戦
1952年ベルギーグランプリ
FIA F1世界選手権
1952年シーズン
次戦
1952年イギリスグランプリ
前回開催
1951年ベルギーグランプリ
フランスグランプリ 次回開催
1953年ベルギーグランプリ


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