1934 - 1938年
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「大阪市営電気供給事業」の記事における「1934 - 1938年」の解説
電灯市営化からの10年間で電灯需要は拡大していたが、街灯について見るとなお普及の余地があったことから、電気局では1933年10月から1年半をかけて電灯市営化10周年記念事業の一環として街灯普及活動を展開する。建設費を市費にて負担、電気料金を1割引(需要家負担で建設する場合は2割引)として繁華街などにおいて勧誘に努め、市内約80地区にて2,182基を建設した。また1935年(昭和10年)春から「明灯明視運動」と銘打ち電気スタンド(明視スタンド)の普及活動を始めた。次いで市内の公設市場や中小工場の照明改善を実施し、電灯需要の増加を図っている。1937年(昭和12年)には需要者負担軽減のため電灯料金の値下げ(減収額59万4千円)を実施した。 この間の1934年(昭和9年)9月21日、室戸台風による強風・高潮被害を受け、鉄塔の倒壊、変電所の浸水、電柱の損害など被害総額は470万円に及んだ。市内全域で停電が発生したが、早期の復旧に努めて3日目には過半の地域で配電を再開、10日目には全域で停電を解消できた。 1936年(昭和11年)12月、繁華街「新世界」の電気施設を大阪土地建物株式会社から買収した。同社は大阪市から市有地を借り受けて街を造成していたが、その後建物を売却、電気施設のみを保有したまま街への電気の供給を継続していた。1931年に市も建物所有者に土地を売却したことから、大阪土地建物に電気の供給を担わせる意味がなくなったとして、1934年より市当局は電気施設の買収を試み会社と交渉を行った。最終的に大阪逓信局長の裁定により1936年11月に交渉が纏まり、電気局は大阪土地建物から需要家838戸、電灯供給3万4230灯、その他電力・電熱供給を引き継いだ。 1937年(昭和12年)3月、四ツ橋にて建設中であった科学館「電気科学館」が竣工した。従来の普及宣伝活動より水準を引き上げ電気科学知識の普及を図るための施設で、館内は電気に関する実演装置を施す「電気館」と、日本で最初のプラネタリウム「天象館」からなる。また電気局庁舎にあった陳列所を館内1階に移転の上拡充し、電気器具の販売や電気に関する相談を受け付ける「市電の店」として営業した。
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