1934 - 1938年とは? わかりやすく解説

1934 - 1938年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 00:16 UTC 版)

大阪市営電気供給事業」の記事における「1934 - 1938年」の解説

電灯市営化からの10年間で電灯需要拡大していたが、街灯について見るとなお普及余地があったことから、電気局では1933年10月から1年半をかけて電灯市営10周年記念事業一環として街灯普及活動展開する建設費市費にて負担電気料金を1割引需要家負担建設する場合は2割引)として繁華街などにおいて勧誘努め市内80地区にて2,182基を建設した。また1935年昭和10年)春から「明灯明視運動」と銘打ち電気スタンド明視スタンド)の普及活動始めた次いで市内公設市場中小工場照明改善実施し電灯需要の増加図っている。1937年昭和12年)には需要者負担軽減のため電灯料金値下げ減収594千円)を実施したこの間1934年昭和9年9月21日室戸台風による強風高潮被害を受け、鉄塔倒壊変電所浸水電柱損害など被害総額470万円及んだ市内全域停電発生したが、早期復旧努めて3日目には過半地域配電再開10日目には全域停電解消できた。 1936年昭和11年12月繁華街「新世界」電気施設大阪土建物株式会社から買収した同社大阪市から市有地を借り受けて街を造成していたが、その後建物売却電気施設のみを保有したまま街への電気供給継続していた。1931年に市も建物所有者土地売却したことから、大阪土建物電気供給を担わせる意味がなくなったとして、1934年より市当局電気施設買収試み会社交渉行った最終的に大阪逓信局長の裁定により1936年11月交渉纏まり電気局は大阪土建物から需要家838戸、電灯供給34230灯、その他電力電熱供給引き継いだ1937年昭和12年3月四ツ橋にて建設中であった科学館電気科学館」が竣工した従来普及宣伝活動より水準引き上げ電気科知識普及を図るための施設で、館内電気に関する実演装置を施す「電気館」と、日本最初プラネタリウム天象館からなる。また電気局庁舎にあった陳列所を館内1階移転の上拡充し電気器具販売電気に関する相談受け付ける「市電の店」として営業した。

※この「1934 - 1938年」の解説は、「大阪市営電気供給事業」の解説の一部です。
「1934 - 1938年」を含む「大阪市営電気供給事業」の記事については、「大阪市営電気供給事業」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「1934 - 1938年」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「1934 - 1938年」の関連用語

1934 - 1938年のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



1934 - 1938年のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの大阪市営電気供給事業 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS