1次選考で落選した都市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 07:21 UTC 版)
「2020年夏季オリンピックの開催地選考」の記事における「1次選考で落選した都市」の解説
バクー バクーは2011年9月1日に立候補を表明し、バクー招致委員会のトップにアゼルバイジャンの副首相であるヤガブ・イユボフ氏が就任した。バクーは前回2016年夏季オリンピックにも立候補したが、1次選考で立候補都市の中で最も低い評価となり落選した。その後2020年夏季オリンピック開催地に立候補するべく、政府をはじめとする強力な国家プロジェクトにより、前回立候補時に掲げていた会場の建設を開始した。水泳場などを含む複合競技施設やメインスタジアムに予定しているオリンピックスタジアムも建設を開始。2011年10月20日にはロシアオリンピック委員会の支持を取り付け、また、ソチや平昌などの招致成功に携わったコンサルタント会社とも契約するなど、緻密な招致活動を行った。バクーの招致ロゴは2020の数字を組み合わせ、アゼルバイジャンの輸出品であるカーペットをイメージした図である。"Together We Can" をスローガンにバクーは招致機運の盛り上げを国家を挙げて行い、アゼルバイジャンのイルハム・アリイェフ大統領は2012年をスポーツの年と位置づけ、オリンピックムーブメントの促進を図った。そうした効果もあり、同国内の五輪招致に関する支持率は95%に達し、立候補している都市の中で最も高い支持率となっていた。2007年にはレスリング世界選手権を開催し、2012年にはU-17 FIFA女子ワールドカップの開催国となり、国際大会の開催も着々と経験を積んできていたが、今回の1次選考でもインフラ基盤の軟弱さを指摘され、ドーハとともに1次選考で落選した。 ドーハ ドーハは2011年8月26日、カタールオリンピック委員会のシャイフ・タミーム・ビン・ハマド・アール=サーニー会長が正式に立候補を表明した。ドーハは2016年夏季オリンピックにも立候補していたが、夏季の45°Cを超える酷暑を避けるために設定した10月開催が IOC の規定に反していることから、1次選考で落選した。今回もドーハは10月開催を計画し、立候補前に IOC と協議を行った。その結果、IOC は選手の安全を第1に考えることを条件に10月開催の計画を承認し、カタールは正式に立候補を行った。開会式と閉会式は2022年開催のFIFAワールドカップで使用するルサイル・イコニクスタジアムで行い、陸上競技を既存のハリーファスタジアムで行う計画を打ち出していた。ドーハは、2006年にアジア大会を開催したほか、カタールは2011年にAFCアジアカップやパン・アラブゲームズを開催するなど国際大会の招致に積極的で、2022年のワールドカップ開催を含め、これらの計画は2030年に設定されているカタールの国家ビジョン建設を目標に行われていた。また、いわゆるオイルマネーによる豊富な資金力があり、落選した2016年夏季オリンピック開催地の1次選考の評価で、財政面では立候補都市の中では最も高い評価を得たが、今回2020年大会の1次選考でも再び10月開催に懸念が集中し、前回に引き続いて1次選考で落選した。
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