黒潮号の登場
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1933年11月より阪和天王寺(現在の天王寺) - 紀伊田辺間の週末直通運転が開始された。この列車は阪和電気鉄道線内は同社の電車で客車を牽引した。大鉄局では列車愛称を公募しており、11月5日締切であったため初週4・5日の第1回運転には間に合わなかったが、同月8日正午審査開始の末、5,227の応募の中で最多312票を獲得した「黒潮」が選定され、次週11月11・12日の第2回列車から「黒潮号」の列車愛称が付けられた。太平洋戦争以前の日本において、特急列車以外の国鉄列車に正式な列車愛称が付いたのは異例なことである。 当初は紀勢西線が紀伊田辺止まりのため、地元の明光自動車が白浜までの連絡バスを運行したが、1933年12月には紀勢西線が紀伊富田駅まで延伸、黒潮号も紀伊田辺から白浜温泉の玄関口である白浜口駅(現在の白浜駅)まで運転区間の延長が実施された。 黒潮号は非常な駿足列車であった。前述の通り阪和電気鉄道線内では同社の保有する電車で国鉄客車を牽引、同社のノンストップ超特急と同様に天王寺 - 東和歌山(現在の和歌山)間を45分運転したが、61.2kmの区間を平均81.6km/hで走破し、この区間に限れば当時の日本で最速であった。そして紀勢西線でも東和歌山 - 白浜口間ノンストップで2時間9分運転(上り列車に関しては紀伊田辺駅に停車して所要2時間12分)という、ローカル線の蒸気機関車牽引列車としては限界一杯の運転が行われた。この結果、天王寺から白浜口までの170km弱が3時間で結ばれたのである。 一方、大鉄局の案に反発した南海鉄道は当初「朝潮号」という別の直通列車計画を立てていた。しかしこれは実現に至らず、結局は阪和電気鉄道と同じ形式で省線乗り入れを実施することとなり、1934年11月17日から黒潮号に併結する形で難波発の南紀直通列車が実現した。やはり200馬力級の電動機を4基搭載するモハ2001形2両を用いて3両の客車を牽引することで、従来の南海本線内特急は難波 - 和歌山市間の所要時分が60分のところ、南海「黒潮号」は55分運転 としたところに、阪和に対する対抗心が伺える。和歌山市に着いた客車は国鉄蒸気機関車に牽引されて東和歌山駅まで走行、ここで天王寺発客車を複雑な入れ替え手順 を経て併結し、ともに白浜へ向かうようになった。
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