黒潮号の登場とは? わかりやすく解説

黒潮号の登場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 08:10 UTC 版)

黒潮号」の記事における「黒潮号の登場」の解説

1933年11月より阪和天王寺現在の天王寺) - 紀伊田辺間の週末直通運転開始された。この列車阪和電気鉄道線内同社電車客車牽引した大鉄局では列車愛称公募しており、11月5日締切であったため初週4・5日の第1回転には間に合わなかったが、同月8日正午審査開始の末、5,227応募の中で最多312票を獲得した黒潮」が選定され次週11月11・12日の第2回列車から「黒潮号」の列車愛称付けられた。太平洋戦争以前日本において、特急列車以外の国鉄列車正式な列車愛称付いたのは異例なことである。 当初紀勢西線紀伊田辺止まりのため、地元明光自動車白浜までの連絡バス運行したが、1933年12月には紀勢西線紀伊富田駅まで延伸黒潮号紀伊田辺から白浜温泉玄関口である白浜口駅現在の白浜駅)まで運転区間延長実施された。 黒潮号は非常な駿足列車であった前述通り阪和電気鉄道線内では同社保有する電車国鉄客車牽引同社ノンストップ超特急同様に天王寺 - 東和歌山(現在の和歌山)間を45分運転したが、61.2kmの区間平均81.6km/hで走破し、この区間に限れば当時日本最速であった。そして紀勢西線でも東和歌山 - 白浜口間ノンストップで2時間9分運転(上り列車に関して紀伊田辺駅停車して所要2時間12分)という、ローカル線蒸気機関車牽引列車としては限界一杯の運転が行われた。この結果天王寺から白浜口までの170km弱が3時間で結ばれたのである一方大鉄局の案に反発した南海鉄道当初朝潮号」という別の直通列車計画立てていた。しかしこれは実現至らず結局は阪和電気鉄道と同じ形式省線乗り入れ実施することとなり、1934年11月17日から黒潮号併結する形で難波発の南紀直通列車実現した。やはり200馬力級の電動機を4基搭載するモハ2001形2両を用いて3両の客車牽引することで、従来南海本線特急難波 - 和歌山市間の所要時分60分のところ、南海黒潮号」は55分運転 としたところに阪和対す対抗心伺える。和歌山市着いた客車国鉄蒸気機関車牽引され東和歌山駅まで走行、ここで天王寺客車複雑な入れ替え手順経て併結し、ともに白浜へ向かうようになった

※この「黒潮号の登場」の解説は、「黒潮号」の解説の一部です。
「黒潮号の登場」を含む「黒潮号」の記事については、「黒潮号」の概要を参照ください。

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