ノンストップ超特急
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 22:52 UTC 版)
和歌山までの開業当初は、阪和天王寺 - 阪和東和歌山間の61.2kmを「急行」(途中鳳駅にのみ停車)が65分、「直通」(普通列車のうち阪和天王寺 - 阪和東和歌山の全区間を走行する列車)が80分で結んでいたが、同年10月のダイヤ改正で急行55分、直通75分に短縮するなど、スピードアップを積極的に行った。その後も路盤の安定に伴ってスピードアップをくり返し、1931年7月に阪和天王寺 - 阪和東和歌山間をノンストップ48分で走破する「特急」の運転を開始した。 この特急は、1933年12月20日改正でに阪和天王寺 - 阪和東和歌山間45分運転へスピードアップされ、種別を「超特急」に改める。この時の表定速度81.6km/hは、営業運転される定期列車としては1950年代以前の日本国内最高記録で、戦後に国鉄特急「こだま」号が東京 - 大阪間6時間40分運転(表定速度83.46km/h)を開始した1959年まで、実に26年間も破られない超絶的レコードとなった。同時期、日本資本で経営されていた南満州鉄道の著名な特急列車「あじあ」号(1934年運転開始)は蒸気機関車牽引の客車列車ではあるものの、標準軌路線での運転で表定速度82.5km/hであったが、阪和超特急は狭軌線ながらそれにも匹敵する水準に達していた。 阪和電鉄の線路条件はおおむね直線で良好であったが、県境の山中渓駅付近には急曲線・急勾配区間があり、振り子式車両(車体傾斜式車両)のない当時としては、平坦区間で極限の高速運転がなされた。阪和間45分運転を行うことは電車にも大きな負担をかけ、駆動歯車は鋸歯状になるほど消耗したという。
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