高級車業界へ - トラック用エンジン付豪華車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 18:55 UTC 版)
「ドライエ」の記事における「高級車業界へ - トラック用エンジン付豪華車」の解説
長らく実用的な商用車や、消防車などの特装車を主力としてきたドライエだったが、その転機となったのは1932年であった。モラン一族ら経営陣は、不況に対する経営打開策として、高級車・レーシングカーの分野に本格参入することを決意したのである。結果、アメデー・バレ Amédée Varlet、ジャン・フランソワ Jean François らドライエ社のエンジニアたちは、その手腕を遺憾なく発揮することになる。 パワーユニットに選ばれたスチールブロックの直列式OHVエンジン―4気筒2.15リッターの12CV、6気筒3.2リッターの18CVの2系統であるが―本来、1927年に設計されたタイプ103トラック用のエンジンであった。乗用車とトラックがエンジンを共用した事例自体は歴史的に多々見られるが、量販車種同士の合理化を目的とした共用の範疇であり、高性能高級車と目されるクラスの乗用車・スポーツカーがトラック共通エンジンを用いることはさすがに多くない。しかしこのドライエエンジンはトラック用という出自から信頼性が高く、なおかつ高級車のエンジンとして用いても問題のないだけの十分なスムースさをも兼ね備えた高品質な製品であった。そして1950年代に至るまで、乗用車・トラック兼用エンジンとして第一線で用いられた。 1933年のパリ・サロンで、ジャン・フランソワの手になる新型車「ドライエ・シュペル・リュクス」12CVと18CVとが発表された。例のタフネスなトラックエンジン、クロスメンバーを備えた強固なシャーシに加え、前車軸に横置きリーフスプリング独立懸架を採用、オプションでシンクロメッシュ・ギアボックスも用意されるなど、技術的に当時の最先端を行く斬新なモデルだった。そして同年、モンレリー・サーキットでスピード・トライアルを行い、耐久速度レコード18種を樹立するという高性能ぶりを発揮して、ドライエの冴えなかったイメージをひっくり返した。 1935年、経営不振に陥っていた同じくフランスの高性能車メーカーであるドラージュ(Delage デラージ、デラーグとも)を吸収合併し、更なる発展のステップとすることになる。ドラージュのネームは、ドライエと並行する形で第二次世界大戦まで残された。例のトラックエンジンの応用ぶりは徹底していて、ドラージュ最後のモデルとなった華麗な高性能車「ドラージュD8-120」にも、ドライエのトラック用6気筒に2気筒を追加して直列8気筒とした設計の4.8リッターエンジンが搭載されていたほどである。 1935年に戦後まで長く生産された6気筒車「135」を発表、以後その派生モデルを展開して成功を収めた。135シリーズやドラージュD8、そして同時代のブガッティやタルボ等のフランス製高級車には、フィゴーニ・エ・ファラッシ、アンリ・シャプロン、レトゥノール・エ・マルシャンといった錚々たるカロシェ(車体架装メーカー)が、実用性を度外視し贅を凝らした絢爛豪華な曲面流線型ボディを架装した。1950年代にクライスラーのチーフデザイナー、バージル・エクスナーが「フラムボワイヤン」(火炎様式)という総称で定義したそれらのコーチビルド・ボディは、豪奢な衣装に身を包んだ上流婦人とともに、コンクール・デレガンスにおける花形として君臨したが、いわば第二次世界大戦を目前にした不安な時代の仇花とも言うべき存在であった。
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