高松市成立とは? わかりやすく解説

高松市成立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 14:26 UTC 版)

高松市の歴史」の記事における「高松市成立」の解説

明治維新経て成立した日本新政府は、それまで幕藩体制影響根強く残る地方権力弱体化させて強力な中央集権体制確立させようとしていた。その地方統治機構としてまず1872年11月10日明治5年10月10日)に大区小区制施行され、各府県下に大区、その下に小区設置される。この大区の名称は数字であり、なおかつ府県単位であったために香川県のように合併分離繰り返す県の場合、度々名称が変わった名東県合併した1873年明治6年)には高松は第18大区属した1878年明治11年7月22日大区小区制替わって地方三新法として郡区町村編制法成立し大都市とそれに準ずる都市には区、それ以外には大区小区制の中では名目上存在に過ぎなかった郡を設置し高松香川郡属してその郡役所置かれた。 そして、その郡区町村編制法替わる制度として1888年明治21年4月17日市制制度定められた。この制度開始され当初から高松人口要件など市制条件満たし全国40都市と共に内務省から指定されていたが、1889年明治22年4月1日最初に市制敷いた31都市中に高松含まれていなかった。そのころこの地域行政といえば香川県成立直後混乱期であり、関係者調整協議整わないまま最初制度施行には間に合わなかったという経緯がある。 最初制度施行から8ヵ月後の同年12月26日には全国20府県知事とともに初代香川県知事林董更迭され新知柴原和赴任内務大臣対す市制施行願いをこの新知事に上申し新知就任から2日後12月28日香川県下町町村制とともに高松市制施行予定日決定しその旨布達があった。 翌1890年明治23年2月15日高松市制施行し高松市成立する最初市制制度施行から遅れることおよそ1年中国四国地方では最も遅く全国40番目の市となった初代市役所は北古馬場町福善寺間借りして開庁となった市制施行当時人口は33546人、戸数は6356戸、面積は2.58km2。 市制施行に際して高松市となった町・村城下町(計59町)塩屋町築地町、新塩屋町井口町新通町福田町古馬場町片原町今新町大工町桶屋町御坊町百間町、北古馬場町七十間町、野方町西通町西浜町、木蔵町西新町丸亀町、外磨屋町、南紺屋町古新町兵庫町一番丁二番丁三番丁四番丁五番丁六番丁七番丁八番丁九番丁十番丁天神前田町東瓦町西瓦町、新瓦町北亀井町南亀井町旅籠町中新町南新町南鍛冶屋町内町、浜ノ丁鶴屋町本町、内磨屋町下横町上横町東浜町新材木町通町北浜材木町、工町、魚屋町 町・村東浜村一部通称:十番長屋、瓦焼)、中ノ一部通称樋ノ上市制に際して高松市一部となった東浜村と中ノの各一部はしばらくは正式な町名与えられず、通称地名である十番長屋、瓦焼樋ノ上呼ばれていた。その後1914年大正3年)にそれぞれ八坂町南瓦町(現・常磐町二丁目付近)、東田町という正式町名与えられた。

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