高屋敷館遺跡とは? わかりやすく解説

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高屋敷館遺跡

名称: 高屋敷館遺跡
ふりがな たかやしきだていせき
種別 史跡
種別2:
都道府県 青森県
市区町村 青森市
管理団体
指定年月日 2001.01.29(平成13.01.29)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 高屋敷館遺跡は,濠と土塁巡らした平安時代後期いわゆる環濠集落である。この遺跡は,発掘調査前は中世城館跡と考えられていたが、青森県埋蔵文化財調査センター平成6年から7年に、建設省国道バイパス建設に伴う発掘調査行った結果古代のものと判明し、その性格めぐって大きな議論をよんだ。遺跡バイパス路線変更することによって全体保存図られた。
 遺跡は東に平野を臨む台地縁辺立地し南北100m東西80mの規模をもつ。西側には、幅約6m,深さ3mの濠とその外側に幅約2m現存高約1mの土塁巡らし集落外部から遮断している。濠の西側には出入口考えられる土塁途切れた部分があり、この他南西部にも木のが濠にけられていた。濠の内部には大小竪穴住居重複しながら密集し、その数は86棟が確認されており、それ以外にもかなり多数存在推定されることから、多く人々長期にわたり生活していたことが知られるこのうち2棟竪穴住居からは,鉄滓出土しており鍛冶工房考えられる出土している遺物土器の他、種々の鉄製品・木製品豊富にある。遺跡時期は,出土土器等により10世紀後半頃から12世紀前半頃と考えられる。なお、遺跡北側には高屋敷館遺跡に先行する時期の、竪穴掘立柱建物連結する建物にU字形の溝がめぐる遺構と、墓と推定される円形周溝遺構があり、高屋敷館遺跡成立以前状況具体的に知られる
 集落を濠と土塁で囲むという構造は、防御意図したものとも考えられる。同じ時期日常生活を営むのに不便な高い山上に立地するいわゆる高地性集落知られており、合わせて防御性集落とも称される古代環濠集落高地性集落は、現在のところ、秋田岩手両県の北部から青森県に及ぶ東北地方北部さらには北海道南部分布し時期はいずれ平安時代後期10世紀から12世紀中心としている。
 東北北部以北地域律令国家直接的な支配及ばない地域であった。この地域環濠集落高地性集落成立することは、この地域律令国家支配領域とは異なった社会情勢にあったことを示唆する記録によれば岩手県秋田県地域においては11世紀後半前九年後三年の役があったことが知られているが、これらの遺跡存在から、それ以前から、蝦夷集団相互抗争などがあったことも想定される。本遺跡はこの地域古代環濠集落中でも、とくに規模大きく出土遺物も豊富で遺跡遺存状況良好であり、重要な歴史的意義有している。よって、史跡指定し保護図ろうとするものである
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