高天神城跡とは? わかりやすく解説

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高天神城跡

名称: 高天神城跡
ふりがな たかてんじんじょうあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 静岡県
市区町村 掛川市
管理団体 掛川市
指定年月日 1975.10.16(昭和50.10.16)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日 平成19.02.06
解説文: 高天神城応永23年1416上杉禅秀の乱際し鎌倉公方支援した今川氏築いたものとされるが、永禄年間には徳川氏帰属し西上策す武田方と相対峙した。天正2年(1574)に、武田勝頼攻略開城させ、以後徳川方数次にわたる合戦が行なわれたが、天正9年(1581)、織田信長支援得た徳川家康勢の包囲攻撃受けて落城した。
 城は東海道掛川の南11キロメートルにある翁山(標高130メートル)に築かれたが、現在も東峰本丸跡など主要郭の跡や空堀等を見ることができる。諏訪原城跡並んで戦国期過程理解する上で逸することのできない遺跡であり、中世山城遺構としても秀れたものがある。
 高天神城跡は室町時代には遠江領有していた今川氏支城として機能していたが、永禄年間には徳川氏帰属し西上策す武田方と相対峙した。天正2年(1574)、武田勝頼攻め長期兵糧攻めの末、開城させた。以後徳川方数次にわたる合戦が行われたが、天正9年(1581)、織田信長支援得た徳川家康勢が包囲し落城させた。城は東海道掛川の南約8km(旧大東町)にある翁山(標高130m)に築かれたが、現在も東峰本丸跡主要な郭の跡や空堀等を見ることができる。平成10年度に基本整備計画策定され継続的に発掘調査実施されている。今回、南に延び尾根分断する大規模な堀切存在する部分山裾部のうち、条件整った部分について追加指定をし保護万全を期そうとするものである
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