駕籠訴の吟味開始と広がる波紋とは? わかりやすく解説

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駕籠訴の吟味開始と広がる波紋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 16:44 UTC 版)

郡上一揆」の記事における「駕籠訴の吟味開始と広がる波紋」の解説

宝暦5年12月18日1756年1月19日)、駕籠訴願主の5名が町奉行依田政次呼び出され吟味を受け、宿預けとなる。宝暦5年12月18日1756年1月19日)、宝暦6年1756年1月19日以降町奉行依田政次によって駕籠訴人が提出した訴状内容について吟味続けられた。そして笠松陣屋提出指示され飛脚陣屋へ向かう際に農民らに奪われ三家老の免許状依田町奉行提出された。 駕籠訴によって郡上一揆吟味が行われることとなり、あわてたのが美濃郡代代官青木次郎九郎対し郡上藩年貢徴収法改正問題への介入命じた幕府勘定奉行大橋親義らであった幕領ではない郡上藩年貢徴収に対して幕府代官命令することは筋違い異例な措置であり、事実明るみ出れば問題とされるのは明らかであった大橋親義はともに郡上藩年貢徴収法改正問題への介入行った大目付の曲淵英元らと相談してもみ消し工作行い、更に町奉行による駕籠訴についての吟味や、宝暦7年1757年)に行われた勘定所内の吟味においても、大橋はやはり曲淵らと話を合わせながら、美濃郡代郡上藩年貢徴収法改正問題への介入への関与否定し続けた宝暦5年12月6日1756年1月7日)、関寄合所江戸からの駕籠訴決行知らせ届いた。藩側の弾圧により窮地追い込まれていた一揆勢にとって、駕籠訴決行反転攻勢きっかけとなった同時期に駕籠訴について連絡受けた郡上藩側は、まずは拘束していた農民厳し事情聴取行ったが、続いて一揆勢との対立和らげることを目的とした妥協策を立てることになった。 また駕籠訴決行連絡後、江戸からは駕籠訴願主から資金不足について訴え書状届けられている。江戸で訴訟進めていくためには多く資金が必要となるため、闘争資金の調達大きな課題となってきた。またこの時期願主からの書状には、郡上には「」がいると聞いているので、これまで交わした書状扱いなどには十分に気をつけるように書かれているものがあり、一揆勢にとって体制固めていくことが大きな課題となっていた。

※この「駕籠訴の吟味開始と広がる波紋」の解説は、「郡上一揆」の解説の一部です。
「駕籠訴の吟味開始と広がる波紋」を含む「郡上一揆」の記事については、「郡上一揆」の概要を参照ください。

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