駕籠訴人と村方三役代表との対決とは? わかりやすく解説

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駕籠訴人と村方三役代表との対決

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 16:44 UTC 版)

郡上一揆」の記事における「駕籠訴人と村方三役代表との対決」の解説

宝暦6年8月27日1756年9月21日)、郡上藩側から郡上郡内の村方三役から庄屋10名、組頭10名、百姓代10名の計30名が選ばれ駕籠訴吟味において事情確認するため江戸向かわせることが言い渡された。一揆勢との軋轢悩んでいた村方三役にとって、江戸で駕籠訴吟味事情聴取を受けることは大きな負担であり、遠慮したい嘆願した一部村方三役江戸行きを強く拒否して逃走し入牢手鎖処分受けた者もいたが、幕府の手によって進められている吟味断りようもなく、9月入って郡上藩代官猪子九郎別府弥角の引率30名の村方三役江戸向かい宝暦6年9月17日1756年10月10日到着した宝暦6年10月24日1756年11月16日)、町奉行依田政次役宅に5名の駕籠訴人と30名の村方三役呼び出され両者対決する形で駕籠訴吟味進められた。吟味駕籠訴提出され訴状内容について確認する方法進められ依田町奉行は5名の駕籠訴人の申し立て好意的であり、吟味優勢に進められた。また30名の村方三役付き添った代官猪子九郎別府角に尋問なされたが、両代官厳しく叱責された。 老中駕籠なされた駕籠訴受理され町奉行による駕籠訴吟味内容一揆側農民たちに比較好意的であったのは、幕府内の路線対立影響しているとの説がある。当時、あくまで年貢増徴によって幕府財政維持しようという派と、年貢増徴策に対す農民たちの頑強な抵抗目の当たりにして、年貢増徴一本槍財政再建批判的な派の対立表面化しており、郡上一揆駕籠訴吟味は、年貢増徴一本槍財政再建批判的な派閥によって推進されていたため、一揆勢に好意的なものになった考えられる。 また駕籠訴吟味一揆勢に好意的であったことは、その後一揆活動少なからぬ影響与えた幕府一揆勢の訴え好意的であると判断したため、駕籠訴吟味判決出されることなく継続した一揆裁きを、農民たちは目安箱への箱訴行い改め幕府求めた。しかし箱訴によって開始され評定所での吟味は、一転農民たちにとって極めて厳しいものになった

※この「駕籠訴人と村方三役代表との対決」の解説は、「郡上一揆」の解説の一部です。
「駕籠訴人と村方三役代表との対決」を含む「郡上一揆」の記事については、「郡上一揆」の概要を参照ください。

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