震災後から昭和期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/05 06:41 UTC 版)
「東京市電気局1471形電車」の記事における「震災後から昭和期」の解説
東京市電気局は関東大震災と1925年8月の電気局芝浦工場の火災で『ホヘサ』だけでも163両を焼失し、1号から連番で振られた3000形以前の車両の番号は大正末期になると歯の欠けた櫛のような有様を呈していた。このため1925年10月から電気局は連番車号車の改番を施行。『ホヘサ』のうち1471形は1121形・1371形と共に1000形にまとめられ、1854形は1300形。1954形と1371形復旧車及び2200形は1500形へと改番が行われている。 1927年に空気ブレーキを装備し救助網をロックフェンダー式ストライカーに換装する更新改造を全車が受け、詳しい時期は不明だが1930年代には1000形と1300形へのトロリーリトリバーの設置とダッシュボード上に尾灯が追加装備される。1000形の最終車である1294号(旧1471号・クロスシート装備車)は後者の改造を受けることなく教習車として使用されるようになる。 1930年代には殆どの『ホヘサ』は城東の三ノ輪・柳島・錦糸堀の三車庫に配備されていた。 1930年代に入ると旧『ホヘサ』でも若番の車両には老朽化が目立つようになり、事故廃車なども含めて1932年から1939年までに1000形・1300形の多くが廃車されている。廃車の際に発生した電装品やブリル製の高床台車は新1000形と新1200形に再利用された。前二形式の廃車を免れた車両や1500形も、1930年代末期には新1000形・新1200形などの台頭によってほとんど休車状態にあった。特異な経歴を辿った車両が1262号で、廃車後に側面窓を片側12枚の狭幅窓から6枚の広幅窓にする改造を受けた後、1262→1368(2代目)→1632(2代目)と三度も非公式に番号を替えて生き残った。 1941年12月に太平洋戦争が始まって以降も使用されることは少なく、後述の1400形に改造された車両を除けば残存車の殆どが休車扱いであった。1945年5月25日の東京空襲で青山車庫に休車として留置されていた1500形15両と記念車として保存されていた1294号が焼失したほかは戦災廃車は無かった。 戦後の1945年11月に戦災車15両と川崎市電に譲渡される5両が車籍抹消。翌1946年7月に新たに3両が川崎市電譲渡に伴い車籍が抹消された。 同年12月にまでに2両が1400形へ改造、残る70両が廃車され、東京都電のオープンデッキ構造のボギー車の歴史に幕を下ろした。
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