関西水力電気の設立とは? わかりやすく解説

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関西水力電気の設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 17:48 UTC 版)

関西水力電気」の記事における「関西水力電気の設立」の解説

1905年11月29日水力発電事業起こしその電気奈良市その周辺へと供給する目的関西水力電気株式会社設立された。会社所在地奈良市高天町12番屋敷で、設立時資本金15万円である。発起人森久兵衛奈良電灯監査役大阪鰻谷畳表商「泉久」)、加納由兵衛大阪鰻谷質商)、寺田元吉寺田甚与茂の弟・岸和田実業家)、田中善助伊賀上野実業家巌倉水電社長)ら計7名。発起人のうち田中善助伝記によると、奈良電灯社長佐野正道が巌倉水電発電所訪れ田中奈良への送電奈良電灯事業売却持ち掛けたことが会社設立発端という。 関西水力電気設立同時に奈良電灯から事業継承した(ただし逓信省からの事業譲受認可同年12月28日付)。奈良電灯は翌11月30日付で解散している。継承時の成績需要家数約250戸、電灯700灯前後であった。電源奈良電灯時代のままの火力発電であり採算あわないため水発電所早期建設目指すが、会社設立に際して立案されていた山辺郡波多野村(現・山添村)に木津川支流名張川用い出力300キロワット発電所建設するという計画は、水上交通支障をきたすという地元反対不可能になってしまった。代替地調査結果名張川よりも下流側木津川合流する布目川着目し1906年明治39年3月京都府水利権申請する。だが布目川競願者があり水利権容易に許可されないため再び方針転じ布目川の西を流れ白砂川での発電計画変更した白砂川では地元賛同得て奈良県からも早期水利権許可された。また布目川についても競願者の撤収によって水利権得た1907年明治40年9月添上郡狭川村(現・奈良市)に出力200キロワット白砂川発電所完成し奈良市郡山町(現・大和郡山市)への送電始まった火力発電から水力発電への転換伴って電灯料金大幅に値下げしたため需要急増し200キロワット発電力を消化する見込みとなったため、京都府相楽郡笠置村(現・笠置町)の布目川発電所出力300キロワット)についても建設急ぎ、翌1908年明治41年11月完成させた。完成後、奈良郡山以外にも1909年明治42年2月櫟本町丹波市町(現・天理市)、翌年7月にも田原本町などへ供給拡張。そのため1910年10月布目川発電所増設出力600キロワットに)している。

※この「関西水力電気の設立」の解説は、「関西水力電気」の解説の一部です。
「関西水力電気の設立」を含む「関西水力電気」の記事については、「関西水力電気」の概要を参照ください。

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