関西歌舞伎時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 22:37 UTC 版)
「片岡仁左衛門 (13代目)」の記事における「関西歌舞伎時代」の解説
1939年、上方歌舞伎へ移籍。1951年には亡父の後を継ぎ片岡仁左衛門を襲名するが、1960年代に入ってからの関西歌舞伎の凋落いちじるしく、思わしい活動が行えなかった。二代目中村鴈治郎、三代目實川延若らとともに、自主公演の集まり「七人の会」をたちあげたが注目されずに終わる。このような上方歌舞伎の現状を憂い、伝統の灯火を守ることを決意した仁左衛門は、私財を投じ「仁左衛門歌舞伎」と称して1962年以降五回にわたって自主公演を決行。関西歌舞伎界に与えた影響はきわめて大きい。一方では高校生を対象とする歌舞伎教室を開催したり、上方の若手役者による「若鮎の会」を主宰して若手俳優の指導など人材育成に努めた。
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