関西棋界でとは? わかりやすく解説

関西棋界で

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 13:59 UTC 版)

内藤國雄」の記事における「関西棋界で」の解説

内藤師匠藤内金吾(ふじうち きんご)は坂田三吉弟子であるので、内藤坂田孫弟子である。内藤は、これを誇りにしており、ことあるごとに坂田先生孫弟子」と語る。 当初内藤は、藤内将棋道場看板横書きされた「藤内」(ふじうち)の文字逆向き読み、同じ苗字の人がやっている道場だと誤解。これが藤内道場通い始めきっかけとなったちなみに後々になって内藤は、師匠と姓が同字異音藤内忍(とうない しのぶ)という弟子を持つことになる(藤内忍は、その後奨励会三段リーグ年齢制限迎え指導棋士となる)。 藤内弟子で、棋士内藤含め8名。1968年藤内死去したのち、淡路仁茂小阪昇酒井順吉三段苦労していたため、すでにプロになっていた内藤は彼らと「若手勉強会」を行い、のちに三名ともプロとなった藤内一門関西将棋界一大勢力築いた藤内将棋道場神戸市三宮にあったため、一門は「神戸組」と呼ばれた藤内死後内藤一門総帥存在となり、「神戸組のドン」と呼ばれるようになった1983年には神戸組で順位戦Aクラス以上4名(内藤森安秀光谷川浩司淡路仁茂)、タイトル4個獲得内藤王位王座谷川名人森安棋聖)の全盛期となった。 ただし、有望な少年関西現れても自身弟子にせず、弟分委ねることがほとんどであった内藤棋士となってから2013年に至るまで、前述藤内忍を含め僅か4人しか弟子取っていないものの、そのうち神吉宏充及び三枚堂達也プロ棋士四段以上)に育て上げた。尚、神吉2005年9月吉田正和弟子取り、その吉田2008年10月棋士となったため、内藤現役中孫弟子プロ棋士になるという、非常に珍しい“快挙”を成し遂げた内藤吉田2012年4月17日公式戦対局し千日手の末に吉田が勝ち、内藤は更に珍しい“孫弟子からの恩返し”を受ける結果となった1992年将棋世界掲載したエッセイ我が藤内先生想い出」が、第4回将棋ペンクラブ大賞雑誌部門・大賞受賞。同エッセイは、書籍『私の愛した勝負師たち』(毎日コミュニケーションズ)に収録されている。 2005年6月から2010年5月まで、日本将棋連盟関西本部長務めた

※この「関西棋界で」の解説は、「内藤國雄」の解説の一部です。
「関西棋界で」を含む「内藤國雄」の記事については、「内藤國雄」の概要を参照ください。

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