開発と試験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/22 16:18 UTC 版)
「西ドイツ国鉄V169形ディーゼル機関車」の記事における「開発と試験」の解説
1963年当時、V160形が大量に製造されていたが、将来の標準形式を定めるべくプロトタイプのテストが計画された。あわせて電気暖房も検討された。そのためエンジン出力はV160形よりも大きなものが要求され、1965年から翌年にかけて試作されたV162形(のちの217形)は走行用エンジンとは別に、主に電気暖房用発電機に使用する補助エンジンを搭載した。電気暖房を使用しないときにはふたつのエンジン出力は調合され、走行性能の向上に向けられた。V162形は3両製造された。V169形は、このディーゼル発電機をガスタービンエンジンに変えたものである。 走行用エンジンはV160型の初期型に搭載されたものと同じである。 ガスタービンエンジンはゼネラル・エレクトリック(GE)のLM100-PA104型が採用され、KHDがライセンス生産した。燃料はケロシンの代わりに軽油が使用された。この経緯から、機関車本体もKHDが受注した。 1965年6月、V169 001が落成し、ミュンヘン国際博覧会で公開された。翌年1月、DBは試用を開始した。1966年3月にはアルガイで試運転を行い、ケンプテンに配属された。 1968年、称号変更で219 001-5となった。
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開発と試験
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「ロールス・ロイス RB211」の記事における「開発と試験」の解説
RB211は大推力の3軸式という複雑さのため、開発および試験に長期間を要した。1969年秋の時点で、ロールス・ロイスは当初予定していた性能がなかなか保証できずに苦心していた。当初見込みよりもエンジンは重くなり、推力も不十分で、燃料消費量も大幅に超過していた。この状況は1970年5月に新開発の複合材製ファンブレードHyfilが最終かつ最重要であるバードストライク試験に合格できなかったことでさらに悪化した。ロールス・ロイスは新機軸であるHyfilの開発が難航したときの保険としてチタン製ファンブレードを並行して開発していたが、これは開発費が余計にかかる上、採用するとさらにエンジン重量が増加する事をも意味していた。チタン製ファンブレードの成型工程においてチタン特有の技術的な問題が見つかったことでさらに開発費はさらに高騰した。 1970年9月、ロールス・ロイスはイギリス政府にRB211の開発費が当初見込みの1億7,030万ポンドから2倍近くに増え、さらにエンジンの推定生産費用はエンジン売価230,375ポンドを上回ることを報告している。計画は危機的な状況に陥り、ロッキードに対する開発遅延の違約金支払いも生じたことから経営状況は急速に悪化していった。
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