短波中継機8XSの開発と試験
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「フランク・コンラッド」の記事における「短波中継機8XSの開発と試験」の解説
1922年6月、コンラッドらはピッツバーグのKDKAから180kmほど離れたエリー湖南岸のクリーブランドへ短波で同時送信して、そこから中波で再送信することを決めた。クリーブランドにはKDKAの中波360m(周波数833kHz)の電波がほとんど届かないからだ。 クリーブランドよりもっと離れているのに良好に受信できる地点もあることから、ウェスティングハウスの技術陣にはこれら受信不良エリアの解消を会社から求められていたのである。この中継のためにコンラッドは250Wの真空管4本パラレルの波長80-91m(周波数3.3-3.75MHz)自励発振器を組み立て、AM変調器には同じ250Wの真空管5本を使った。 1922年9月1日、ウェスティングハウス電気製造会社を名義人とする新しい実験局8XSの、送信機の試験調整がはじまった。工場の屋上に太い銅管式の垂直型アンテナを建てて約800Wをアンテナに供給できた。周波数安定度が一番の課題であり、工場の製造ラインとは別に専用電源を設け、さらに周囲の振動を吸収するスプリング付き架台に送信機を載せるなどの苦労があった。 1922年10月27日の20時から2時間、KDKAの音声ラインを分岐して、短波中継機8XSに流し込んだ。これがKDKAの番組音声を実際に短波で送り出した最初である。 しかし想定外に変調音が歪んでしまい、その対策に悩まされ続けた。この伝搬試験は1923年1月まで続けられ、昼間は波長80m(3.75MHz)が、夜間になると波長91m(3.3MHz)の方が良好であることが分かってきた。
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