短波ラジオ放送の開発
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「グリエルモ・マルコーニ」の記事における「短波ラジオ放送の開発」の解説
英国の主要都市に次々と中波放送局を建設し、それを中継線で結んでいた英国放送会社だったが、1局の長波による全国放送の実用性を調査するために、マルコーニがチェルムスフォードより送信試験(呼出符号5XX)を開始したのは1924年7月21日である。そして1924年12月28日より英国放送会社の番組によって試験放送がはじまった。この長波用放送機は1925年7月27日にダベントリーへ移設され、ここが英国放送会社として最初の長波放送の施設5XX(187.5KHz, 25KW)となった。 1927年、英国放送協会が創設され、正式に短波放送サービスを決定した。かつて長波放送機5XXが置かれていたマルコーニ社チェルムスフォード工場には、新たに20KW短波放送機が据え付けられた。これはマルコーニが郵政庁GPOから受注し、設計した短波ビームによる公衆通信用無線電信送信機に変調回路を追加したものだった。呼出符号は5SWで、英国放送協会への貸与という形をとり、1927年11月11日より周波数12.500MHzで試験放送をはじめている。 1929年2月11日、ローマ教皇はベニート・ムッソリーニ伊首相と和解し、バチカン市国の独立を認めるラテラノ条約が同年6月7日に双方で批准された。バチカン市国では全世界の信者にローマ教皇の声を直接届けるために短波放送を計画し、その建設をマルコーニ無線電信会社が請負った。 1931年2月11日の16時30分(バチカン時間)、バチカン放送HVJが開局。マルコーニがオープニングの簡単な挨拶をしたあと、教皇ピウス11世の声が、マルコーニの短波放送機(昼間波15.120MHz、夜間波5.970MHz、出力13-15KW)と平面型ビームアンテナで世界へ向けて送り出された。
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