短波放送バンド
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「フランク・コンラッド」の記事における「短波放送バンド」の解説
1922年2月27日から3月2日、フーバー商務長官の呼び掛けで、全米の電波利害関係組織が召集されて第一回国内無線会議が開かれた。当初より権益の主張合戦となっていたが、3MHzまでの「業務別周波数分配案」の合意になんとか漕ぎ着けた。そこより放送サービスを抜粋したものが下表である。 米国では1920年1月17日よりワシントンD.C.アナスコティアにある海軍飛行場から、海軍省が娯楽音楽放送 NOF を行っていた。まだこの会議(1922年2月)の時点では国営放送等のさらなる拡充が予定されていたため、Government Broadcastingに多くの周波数が割かれた。米国のラジオ史においては、KDKAのような民間企業の商業放送より、いわゆる国営放送の方が僅かだが先行していたのである。 さて民間企業の商業放送には中波618-1,052kHzと短波2.0-3.0MHzの2つのバンドが勧告された。 1922年 第一回国内無線会議の放送バンドプラン周波数帯局種146-162kHz Government broadcasting (海軍慰安放送や連邦政府放送) 200-285.7kHz Government & Public broadcasting (海軍慰安放送、連邦政府放送。および州政府、大学等による公共放送) 400-462kHz Government & Public broadcasting (海軍慰安放送、連邦政府放送。および州政府、大学等による公共放送) 606-618kHz Government & Public broadcasting (海軍慰安放送、連邦政府放送。および州政府、大学等による公共放送) 618-1,052kHz Private & Toll broadcasting (商業放送と有料放送) 1,052-1,091kHz City & State Public Safety broadcasting (州政府、大都市が行う災害緊急放送) 2.0-3.0MHz Private & Toll broadcasting (商業放送と有料放送) コンラッドはこの新しい放送バンド2.0-3.0MHzを番組中継用に利用しようと考えていたが、あまりにも急激にラジオ放送局数が増加していたため、この勧告案はすぐに陳腐化しまいその実施が見送られていた。さらに1923年1月3日、アナコスティア海軍航空局NOFは本来の航空無線の研究に専念することとなり、娯楽放送を終了した。
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