鉤裂きのように白梅咲きましたとは? わかりやすく解説

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鉤裂きのように白梅咲きました

作 者
季 語
 
季 節
春 
出 典
並木邑人集(海程新鋭集・第4集) 
前 書
 
評 言
 ある朝一筋曙光が射して、白梅若木の、ときに緑色帯びたに貼りついた小さなが、ぽつと花弁開いた
 「鉤裂き」の喩によって、梅花の白い一片向こう側に、かすかに動きだした暁闇そのもの面体浮かび上がり反転して再び白い花弁が顕れる
 安全管理工夫進んだ昨今はあまり見かけないが、子供達あかぎれ泣いていた頃は衣服鉤裂き日常茶飯の事で、元気な子ほど、ズボンとその中身裂き疵を抱えていた。
 白梅自身はどうであろう寒暁に命の小さな触手を伸ばして、ひりりと痛み感じたろうか。
 白梅―それは遣唐船海を渡って来た。菅原道真ゆかりの有名な飛梅」が白梅あるように、日本初め根付いたのは中国原産白い野梅であったそうだ。『万葉集・巻五』には、大伴旅人当時風雅最先端にあった大宰府自邸山上憶良らと梅花の宴催し、「もし文筆なければ何をもって情がのべられようか」という詞書と、梅の花の歌三十二首を掲げている。
 蕉門人々が範とした『古今和歌集』「仮名序」に登場する難波津咲くやこの花冬ごもりいまは春べ咲くやこの花〉の「さくやこの花」は、ではなく梅の花である。
 蕪村臨終の〈しら明くる夜ばかりとなりにけり〉も忘れ難い晩年に〈芭蕉去りそののちいまだ年暮れず〉と詠んだ蕪村にとって、芭蕉去って後の年はずっと暮れなかったのか。或いは蕪村旧年暮れて新年迎えたとして、「しら」の空はその後、いったい何処へ展かれていったのだろう。
 中国故事により「好文木」とも呼ばれるが、水戸烈公斉昭の詩「弘道館千樹清香馥郁十分に開く/好文豈に威武無しと謂わんや/裡春を占む天下の魁」や、道元正法眼蔵巻の「老梅の忽開のとき、世界起なり。世界起の時節、すなはち春到なり。」(道元のこの語は、老梅の花が開いた瞬間その瞬間時節春に変化する、という意味)にも白梅の気を感ずる。
 掲句白梅も、その清気表出に於いて変わりはないが、「裂き」と「咲き」がもたらす開放の韻きと口語体丁寧語使った結句によって、伝統的な白梅詩情ピュアな素の相を加えた
 歳時記に「紅梅」はあるが、「白梅」の項が無いのは残念だ
 
評 者
備 考
 


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