金町松戸関所の設置
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関所の位置 金町松戸関所は水戸街道に置かれた唯一の関所である。 江戸川の金町と松戸の渡し場を拠点とした関所で、所在地に伴い金町松戸関所と呼ばれた。 延享2年(1745年)『金町松戸御関所絵図』によると、「金町宿のつきる利根川(支流)に越谷川が注ぐ地点で、両面とも川に抱かれたところに、ごく小規模につくられた」という。 定船場の掟書き 元和2年(1616年)家康の死後に、関東河川の定船場(松戸・市川・川俣・房川渡他、16ヶ所)に定め掟書がだされた。江戸を出る女人と手負いの者は取り締まりを厳重にしていた。 一 定船場以外の場所において、みだりに往来の者を渡してはならない。一 女や手負いそのほか怪しい者はいずれの渡川場においても留め置き、早々江戸へ注進すること。但し、酒井忠利発行の手形を所持する者は異議なく通すこと。一 隣の村へ通行するほどこの渡船場でも通してよい、女人や手負いの者以外でも不審がなければ、その他の領主や代官の手形を所持する者は渡してよい。一 定船場であっても、女人・手負いまたは怪しい者は、たとえ酒井忠利の手形を所持した者でも、通してはならない。一 すべて江戸へ来るものは改めるに及ばない。 — 『御触書覚保集成』に拠る、本間(1988)636-637頁。 また、寛永8年(1631年)「幕閣の重臣連署のもとに、東国の各関所規定を出し、女・手負い・欠落者など怪しい者の取締りと、それを捕まえた者への褒賞が達せられた」。この規定書では、「箱根(東海道)・関宿(日光東往還)・小仏(甲州道中)などともに、小岩・市川(佐倉街道)、新郷・川俣(日光裏街道)、柴・五料(日光例幣使街道)、金町・松戸(水戸街道)、房川渡し中田(日光道中)」などの定船場が記されていた。 関所の位置づけ 「諸国御関所書付」によると、金町松戸関所は、房川渡中田関所、小岩市川関所、小仏関所、新郷川俣関所に並び重要な関所とされている。 諸国御関所書付此印〇重キ御関所此印△軽キ御関所 武州葛飾郡〇一 房川渡中田 御料〇一 金町松戸 御料〇一 小岩市川 同 同多摩郡〇一 小仏 同 同国埼玉郡〇一 新郷川俣 阿部能登守 右五ヶ所の分、女共儀は、五留守居証文を以て通る — 「諸国御関所書付」、大島(1995)67-68頁 寛政期の関所間の異動 寛政期には、房川渡中田関所、金町松戸関所、小岩市川関所、小仏関所間での番人の異動があった。 金町松戸関所については、房川渡中田関所へ「金町松戸関所から足立孝右衛門が以前と同じ待遇、二十四俵四人扶持屋敷家作共で番替となる。その跡へは小岩市川関所の矢嶋勘四郎が番替となった」。関所間の番替はこの時期だけであった。
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