金田一春彦の説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 09:10 UTC 版)
「日本語の方言のアクセント」の記事における「金田一春彦の説」の解説
京阪式から中輪東京式への変化(金田一説) 語例京阪式→中間形→東京式1拍名詞第1類子・蚊こが こが 第2類名・日なが なが 第3類手・木てが てが てが 2拍名詞第1類風・鳥かぜが かぜが 第2・3類石・山いしが いしが 第4類糸・空いとが いとが いとが 第5類猿・雨さるが さるが さるが 3拍名詞第1類形・魚かたちが かたちが 第2・4類小豆・頭あずきが あずきが 第3・5類力・命ちからが ちからが 第7類兜・便りかぶとが かぶとが かぶとが 2拍動詞第1類行く・着るいく いく 第2類有る・見るある ある ある 3拍動詞第1類上がる・明けるあがる あがる 第2類動く・起きるうごく うごく 3拍形容詞第1類赤い・暗いあかい あかい 第2類白い・高いしろい しろい 3拍一段動詞第2類+て起きて・掛けておきて おきて おきて 3拍形容詞第2類連用形白く・高くしろく しろく しろく 方言アクセントの成立についての説で比較的広く受け入れられ通説となっているのは、金田一春彦の説である。金田一は、名義抄式アクセントを祖アクセントとみなし、京阪式アクセントが変化して東京式アクセントを生じたとした。金田一が推論した、京阪式(江戸時代京都・現代和歌山アクセント)から東京式への変化は次のようなものである。 まず、高い部分が1拍後ろにずれた(山の後退)。(例)高高>低高、高低>低高、低高>低低、高高高>低高高、高高低>低高高、高低低>低高低、低低高>低低低、低高低>低低高 次に、語頭に低い拍が続く語は、語頭が高くなった(語頭隆起)。(例)低低>高低、低低低>高低低、低低高>高低高>高低低 1の変化は、高い部分を後ろに送ることにより、発音を楽にしよう、発話の負担を減らそうとする変化である。2の変化は、低い拍が続くことを嫌い、明晰な発音をしようとして起きた変化である。金田一は、これらの変化は起きやすい変化であり、日本の複数の地域で同じような変化をして、東京式を生じたと考えた。内輪・中輪東京式はこの変化で説明でき、ほとんどの類・品詞で同様に考えると京阪式から東京式への変化が導ける(ただし、3拍名詞第6類だけは例外で、京阪式「うさぎ」に対し東京式「うさぎ」であり、上記の法則で導けない)。 外輪東京式アクセントは、補忘記式以降の京阪式とは類の統合の仕方が違うため、補忘記式からの変化ではなく、名義抄式からの変化と考えた。外輪東京式の地域では、まず名義抄式で高起式の語が全て無核型になった(いしが>いしが)後、京都で南北朝期に起こった変化(いぬが>いぬが)が起き、その後内輪・中輪東京式と同じように山の後退、語頭隆起の変化を起こして東京式になった。また、中輪東京式と内輪東京式の違いをみると、内輪東京式の地域では、1拍名詞第2類は○型(なが)である。これは、「なあが>なあが」の変化をした後、短音化が起きて「なが」になったと考えた。逆に中輪東京式の地域では、先に短音化が起きて「なあが>なが」となった後、アクセント変化が起きて「なが」になったとした。また五段活用動詞に「て」のついた形は、京阪式の「とんで」に対し中輪東京式で「とんで」になっている。これは、中輪東京式の地域では「飛んで」が「とん・で」と分けられ2拍扱いだったため、「とんで」から高い部分が後退すると「で」に高音部が移ることになったためと考えた。以上が金田一の、京阪式から東京式が生まれたとする推論である。なお、石川県の能登半島のアクセントは、2拍名詞第1類「かぜが」、第2・3類「いけが」、第4類「いとが」、第5類「さるが」というアクセントだが、金田一はこれを、京阪式から山の後退だけが起き東京式アクセントになりかけているアクセントだと考えた。 金田一は他方言のアクセントについてもその成立過程を推論している。讃岐式アクセントは、名義抄式が直接変化したもので、補忘記式アクセントを経ていないと考えられる。名義抄式から、語頭に低い拍が続く語で変化が起こり、低低→高高(2拍名詞第3類)、低低低→高高高(3拍名詞第4類)、低低高→高高高(3拍名詞第5類、2拍名詞第3類+1拍助詞)の変化が起こって讃岐式ができたと考えた。垂井式アクセントについては、京阪式が高起式と低起式の区別を失ってできたと考えた。
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