酸素脱炭精錬の確立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 15:56 UTC 版)
「ステンレス鋼の歴史」の記事における「酸素脱炭精錬の確立」の解説
高価な低炭素フェロクロムに頼らない製造を達成するために、鉄鉱石を高温の溶鋼に投入して酸化剤として機能させて脱炭させる鉱石法(鉱石脱炭法)がステンレス鋼製造でも用いられるようになってきた。鉱石法を基礎に置いて、米国のアレクサンダー・フィールドが、高温脱炭によってクロム酸化をできるだけ減らした上でフェロシリコンを使ってスラグ中の酸化クロムを還元回収する方法を考案した。この手法は1931年に米国で特許登録され、さらに、この手法と併用してクロマイトれんがを炉床に使う手法が1933年にフィールドによって特許取得された。フィールドの手法は「ラストレス法」と呼ばれ、ステンレス鋼スクラップの活用をやや促したものの、増える一方だったステンレス鋼スクラップを充分に消費できるほどの効果は生まれなかった。鉱石法には、 鉱石による脱炭反応が吸熱反応であるため、溶鋼が冷えてスラグが固まりやすく、スラグ量が増えてしまう 酸化クロムが含まれるスラグが増えることにより、クロムの歩留まりが悪くなる 脱炭反応が遅く、製鋼に時間がかかる といった短所があった。 普通鋼においては、19世紀にベッセマー法、トーマス法が発明され、転炉を使い、空気を溶銑に吹き込んで外部加熱無しで効率良く脱炭させる製鋼法がすでに確立していた。空気に含まれる窒素は望ましくなかったので、1898年に比較的廉価に純酸素ガスを作り出せるようになると、酸素吹き込みによる製鋼法が開発されるようになった。電気炉に対しては1920年ごろから酸素使用が始まった。1930年代後半に工場に充分な酸素貯蔵設備が設置されるようになると、酸素の本格的な工業的利用が始まり、酸素脱炭法のステンレス鋼への適用が課題となった。 1940年、エドワード・セリウスが酸素脱炭法をステンレス鋼に適用する特許を取得した。この特許は、加圧した純酸素ガスを溶鋼に吹き込み、発熱反応を起こして高温に上昇させ、炭素を優先的に酸化させるものであった。酸素脱炭法によって、クロムを溶鋼中に多量に残留させつつ脱炭を効率良く行えるようになり、ステンレス鋼スクラップも原料として問題なく使用できるようになった。ステンレス鋼に対する酸素脱炭法利用はすぐに広まりだし、1940年代後半にはステンレス鋼への酸素脱炭法利用の長所は業界で周知の事実となった。 さらに1948年、ユニオンカーバイド社のD.C.ヒルティが、常圧下での酸素精錬法で効率を上げるには充分な高温下で精錬する必要があることを示した。ヒルティは、平衡定数の近似式を提出し、溶鋼中のクロム酸化量と炭素酸化量に対する温度の影響を定量的に明らかにした。これによると、温度を高くするほど脱炭をより促進できる。ヒルティの発表以前は技術者が手探りで酸素精錬を操業している状態だったが、ヒルティの理論によってステンレス鋼製造における酸素精錬の普及が進んだ。ステンレス鋼製造における酸素脱炭法の確立により、ステンレス鋼の低炭素化効率と量産効率は大きく向上した。ステンレス鋼の品質向上と低コスト化が同時に起こり、炭素 0.03 % 以下の極低炭素ステンレス鋼の製造も商業的に可能となった。酸素脱炭法の確立によってステンレス鋼スクラップが大きな障害なく利用可能になったため、それまで蓄積する一方だったステンレス鋼スクラップの利用は一気に進み、1950年には逆にステンレス鋼スクラップの不足が問題として指摘されるほどまでになった。
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