郡立から町立、市立へとは? わかりやすく解説

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郡立から町立、市立へ(1915-1949)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 22:36 UTC 版)

田辺市立図書館」の記事における「郡立から町立、市立へ(1915-1949)」の解説

1915年大正4年4月1日郡会議事堂西牟婁郡図書館設置された。このとき西牟婁郡図書館田辺図書館吸収し6月25日田辺図書館蔵書引き継いだ田辺図書館個人蔵書一部借用していたため、すべてを郡立図書館引き渡したわけではなく1918年大正7年3月時点の郡立図書館蔵書数は5,696冊と田辺図書館より減っている。 郡立となって利用者少なく1917年大正6年7月来館者数134人で官公吏が主であった。その理由牟婁新報は、郡会議事堂というがらんとした寂しい場所にあることと帯出手続きが面倒であることの2つであると分析し自由に本を手に取れ大阪商船待合所や郡公園にあった簡易図書館の方が利用者が多いと報じた少な利用者中には南方熊楠がおり、南方は『大清一統志中国語版)』があるので通っていたが、閲覧室田辺実業学校現・和山県立神島高等学校技芸科の女子生徒裁縫実習室としても利用されていたため、生徒の邪魔にならぬよう通うのを中断した柳田国男の手紙に綴っている。 1921年大正10年)に郡制廃止方針定まったため、郡立図書館和歌山県移管される予定であったが、和歌山県会は図書館予算削除したため田辺町移管されることになった1923年大正12年)に西牟婁郡図書館田辺町移管され田辺町図書館となり、蔵書器具が町無償譲渡された。図書館田辺町役場2階会議室移転したが、書棚には「本に手を触れていけません」という貼り紙がされ、事実上利用することができない態となった。この名ばかりの「田辺町図書館」が実際に利用できるようになったのは、1929年昭和4年)の新春田辺第一小学校創立50周年記念館へ移転してからのことである。 1942年昭和17年5月田辺町田辺市となったことで田辺市立図書館改称した戦中活動状況不詳であるが、1946年昭和21年6月14日紀州民報田辺市立図書館に関する投書があることから、終戦直後厳し財政下でも既に活動していたことが分かる。この投書によると、図書館とは名ばかり不十分な施設で、閲覧料は無料であった貸し出しを受けるには会員にならねばならず、会員になれるのが田辺市民に限定されていたという。また1948年昭和23年8月20日紀伊民報は「市立図書館強化せよ」と題した社説掲載10数年ぶりに訪れた田辺図書館は、新刊書はおろか前に訪れた際には存在したはずの名著散逸してしまっているとし、市当局奮起促す記した

※この「郡立から町立、市立へ(1915-1949)」の解説は、「田辺市立図書館」の解説の一部です。
「郡立から町立、市立へ(1915-1949)」を含む「田辺市立図書館」の記事については、「田辺市立図書館」の概要を参照ください。

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