遠藤 (新潟市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/19 16:21 UTC 版)
遠藤 | |
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— 大字 — | |
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座標: 北緯37度46分40.87秒 東経138度56分22.48秒 / 北緯37.7780194度 東経138.9395778度 | |
国 | ![]() |
都道府県 | ![]() |
市町村 | ![]() |
区 | ■ 西蒲区 |
人口 (2018年(平成30年)1月31日現在)[1] | |
- 計 | 571人 |
等時帯 | 日本標準時 (UTC+9) |
郵便番号 | 959-0506[2] |
市外局番 | 0256 (巻MA)[3] |
ナンバープレート | 新潟 |
遠藤(えんどう)は、新潟県新潟市西蒲区の大字。郵便番号は959-0506[2]。
概要
1889年(明治22年)から現在の大字。新川右岸、鎧潟岸の低地に位置する[4]。もとは江戸時代から1889年(明治22年)まであった遠藤村の区域の一部[4]。
隣接する町字
北から東回り順に、以下の町字と隣接する。
- 茨島
- 今井
- 鎧潟
※新川を挟んで巻甲、矢島、押付、旗屋、西松崎と隣接。旧木山川を挟んで横戸と隣接。
歴史
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開発年代は不明。始めは三条藩領、1623年(元和9年)に幕府領、1710年(宝永7年)から長岡藩領となる[4]。
年表
- 1889年(明治22年)4月1日 : 合併により横戸村の大字となる。
- 1901年(明治34年)11月1日 : 合併により四ツ合村の大字となる。
- 1955年(昭和30年)3月31日 : 合併により潟東村の大字となる。
- 2005年(平成17年)3月21日 : 合併により新潟市の大字となる。
- 2007年(平成19年)4月1日 : 新潟市の政令指定都市移行により、西蒲区の大字となる。
世帯数と人口
2018年(平成30年)1月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
遠藤 | 155世帯 | 571人 |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 新潟市立潟東小学校 | 新潟市立潟東中学校 |
交通
道路
脚注
注釈
出典
- ^ a b “住民基本台帳人口 (全市・区役所・町名別) - 町名別住民基本台帳人口”. 新潟市 (2018年2月13日). 2018年3月5日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年3月5日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年3月5日閲覧。
- ^ a b c 角川地名15、p.238
- ^ “通学区域一覧(町名別五十音索引)”. 新潟市 (2017年4月1日). 2018年3月5日閲覧。
参考文献
- 角川日本地名大辞典 編纂委員会 『角川日本地名大辞典 15 新潟県』 (株)角川書店、1989年10月8日。ISBN 4-04-001150-3。
関連項目
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「遠藤 (新潟市)」の例文・使い方・用例・文例
- 私、大村食品株式会社の常務取締役の遠藤と申します。
- 遠藤機械金属株式会社の物流管理課の藤田と申します。
- 高校生のテル(遠藤雄(ゆう)弥(や))は自転車に乗ることが大好きだ。
- 遠藤尚(しょう)選手は日本人男子最高位の9位だった。
- 歩美の依頼人の1人は中年男性の畠(はた)田(だ)(遠藤憲(けん)一(いち))だ。
- リニア実験センターの遠藤泰(やす)和(かず)所長は「技術面では自信を持っている。あとはリニアが安全に動くことを確認するため,走行試験を行うだけだ。」と報道陣に話した。
- 大相撲初場所で優勝した横綱白(はく)鵬(ほう)関やその場所の敢(かん)闘(とう)賞(しょう)を受賞した前(まえ)頭(がしら)遠藤関が,五(ご)穀(こく)豊(ほう)穣(じょう)や東日本大震災からの復興を願って大豆や落花生をまいた。
- 遠藤関,三月場所で前(まえ)頭(がしら)筆頭に
- 日本相撲協会によって先日発表された番付によると,遠藤関(23)は東前(まえ)頭(がしら)筆頭の地位が与えられた。
- 遠藤関は昨年,日本大学を卒業し,昨年の三月場所で初土俵を踏んだ。
- 遠藤関は9月に最上階級の幕(まく)内(うち)に昇進した。
- 番付でのスピード出世の理由について聞かれたとき,遠藤関は「私はうまくいかないときもあまり考えない。前向きに気持ちを切り替えることが功を奏したのかもしれない。」と話した。
- 福島県相(そう)馬(ま)市(し)の仮設住宅に住む合唱団員の遠藤美(み)咲(さき)さん(16)は「こんなすばらしい場所で歌えてすごく感動しました。」と語った。
- 豆をまく人には横綱白(はく)鵬(ほう)関や前(まえ)頭(がしら)遠藤関も含まれていた。
- しかし,遠藤保(やす)仁(ひと)選手は代表戦に152回出場してきたにもかかわらず,リストから外れている。
- 遠藤選手は代表としての出場数で歴代トップだ。
- チームの主将である遠藤航(わたる)選手は「今回の優勝に満足すべきではありません。今重要なのは,五輪までに私たち1人1人が成長することです。」と語った。
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