通俗続三国志・通俗続後三国志とは? わかりやすく解説

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通俗続三国志・通俗続後三国志

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/24 15:44 UTC 版)

三国志後伝」の記事における「通俗続三国志・通俗続後三国志」の解説

『通俗続三国志』、『通俗続後三国志』は、『三国志後伝』の日本語翻訳翻案)である。 内容は、『通俗続三国志』中村昂然が『三国志後伝』の前半部分翻訳翻案)を行い尾田玄古馬場信武)が校定したもの。「序」には元禄十六年(1703年3月記載され宝永元年1704年仲呂4月9日『通俗續三國志』として帝都教來石彌兵衛尾田玄古経営としていたという説のある書肆本屋))から37巻38冊が刊行されている。 翻訳部分は『三国志後伝』の第1回から第68回にあたり、『三国志後伝』における第1回から第7回までには複雑な置き換え省略書き加えが行われており、翻訳というよりは翻案なされている。 『通俗続後三国志』は、中村昂然『通俗続三国志』引き継ぎ尾田玄古が『三国志後伝』の後半翻訳したもの。前編後編分けられ刊行された。 前編には尾田玄古の「自序」がなされ、正徳2年1712年)皐(5月)と記載され同年9月吉日に『通俗續後三國志 前編』として中川茂兵衛から3233冊が刊行されている。「後編二十五巻来巳秋出来」の広告がされていた。 後編享保3年1718年孟春1月)月吉祥日に『通俗續後三國志 後編』として中川茂兵衛から2525冊が刊行されている。 その後江戸時代文政年間まで刊行されていたことが確認される明治入ってからも、明治19年1886年に『絵本通俗三国誌』として、新たに挿絵をつけて刊行され明治44年1911年)に早稲田大学出版部より発刊された全12冊の『通俗二十一史』の第6巻第7巻収録された。また、昭和4年1929年)には、同じく早稲田大学出版部より、『物語支那大系』の第6巻第7巻収録されている。なお、全て漢文のまま発行された。 中村昂然については、別号を無外子と称して通俗玄宗軍談』を制作したこと、尾田玄古の『初學擲錢抄』に『仲村昂然』名の序が記載されていること、尾田玄古同時代の人であること以外は不明である。 尾田玄古については、馬場信武の項目を参照内容は、序盤置き換えなどの他に、劉淵劉理の子ではなく劉禅の子とするなど、一部三国志後伝』から改変されている。また、『通俗續三國志』首巻には馬場信武編述として『三國志鼎足譜系』『續三國志譜系』という『三国志後伝』にない蜀漢・魏・呉・晋・成・漢皇帝紹介記載されている。 『通俗続三国志』通俗続後三国志』は、白話表現訳し切れていない部分存在するが、『三国志後伝』の世界で最古翻訳翻案)にあたると見られる

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