退役後から今日まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 04:52 UTC 版)
「ファルマン III」の記事における「退役後から今日まで」の解説
当機体の正確な退役年月日は不明であるが、所沢飛行場でおよそ1916年(大正5年)頃までは何度も修理を重ねながらも現役で使われていたとされている。その後は飛行不能になり、分解され同飛行場の格納庫内に保管されていた。当時の武蔵野鉄道・旧西武鉄道所沢駅付近(現・西武所沢車両工場跡地)の陸軍航空技術学校分講堂に「所沢航空参考館」(通称:南倉庫)が開館すると、再び組み立て復元され、陸軍の「記念飛行機」として歴代の軍用機やその他の輸入機とともに展示されていた。 終戦後はアメリカに分解された状態で(戦利品または戦争資料などとして)接収され、ライト・パターソン空軍基地の米空軍博物館に収蔵されていたが、1960年(昭和35年)に日米修好100周年および日本航空50周年を記念し日本に返還され、同年5月20日に航空自衛隊入間基地(在旧陸軍航空士官学校)に空輸で到着した。この日、約50年振りにファルマン号の操縦桿を握った77歳の徳川好敏元陸軍中将は、まるで我が子に再会したような気分だと述べ、感涙に及んだ。返還直後には、一時的に羽田空港で同年9月18日に行われた航空ページェントや、かつて池袋西武デパートの屋上に存在していた屋上ヘリポート「西武スカイステーション」のイベント時にも当機が貸し出され、他の航空機とともに子供たちの写生大会のモチーフにもなっている。 その後は2006年(平成18年)5月まで、東京都千代田区の交通博物館に展示され、今日では入間基地内の旧「修武台記念館」が「航空歴史資料館 修武台記念館」としてリニューアルオープンされたため、2012年(平成24年)3月から同館内に展示されている。 なお現存の同機体は実物ではあるが、前述のアメリカからの返還の時点で既にそのほとんどがレストアされ、当時のままの部分はエンジンとその他の僅かなパーツのみとなっている。 また、公式初飛行当日(19日)に使用されたプロペラは、現物が「日本最初の飛行に使用されたプロペラ」として戦前にグラーデ機のものと共に寄贈されており、東京都台東区の国立科学博物館に保存されている。
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