退役後の職歴と私生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/10 07:36 UTC 版)
「J・D・ティピット」の記事における「退役後の職歴と私生活」の解説
ティピットは1946年にディアボーン・ストーヴ・カンパニー (The Dearborn Stove Company) で働き始めた。その後レイオフされ、1948年3月から1949年9月まではシアーズ(当時の名称はシアーズ・ローバック・アンド・カンパニー)の取り付け部門で働いた。その後妻のマリーと共にテキサス州ローン・スター(英語版)に移り、農場で牛の飼育に取り組んだ。 1946年12月26日にはマリー・フランシス・ガスウェイ (Marie Frances Gasway) と結婚した。夫婦の間にはチャールズ・アラン(Charles Allan、1950年 - 2014年)、ブレンダ・ケイ(Brenda Kay、1953年生まれ)、カーティス・グレン(Curtis Glenn、1958年生まれ)の3人が生まれた。 1950年1月には、テキサス州バゴタ(英語版)にあるアメリカ合衆国退役軍人省の職業訓練学校へ入学した。ティピットは1952年6月にこの学校を離れた。何度か農家や牧場労働者の職を繰り返した後、ティピットは警察官になることを決めた。1952年7月にはダラス警察(英語版)の巡査として採用され、一家でダラスへ引っ越した。警察での職務中、勇敢な働きにより2度表彰されている。 1963年の殉職時、ティピットにはダラス警察の10号車が割り当てられ、彼のバッジは848番で、巡査としての月収は490ドル(2020年時点の$4,010と同等)だった。彼は他にもふたつのパート職を掛け持っており、金曜と土曜の夜にはオースティンのバーベキューレストランで、日曜日にはスティーヴンス・パーク・シアター (The Stevens Park Theatre) で働いていた。
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